真空断無弾

日々の色々な事柄の忘備録的感想。戯言。

「ばらかもん」①~⑭作ヨシノサツキ 簡素な感想。

 一年ほど前にアニメを見て興味を持った。いつか原作の方も読みたいと思ったのだが、その後テレビでやってたスピンオフ作品が全く違うテイストのもので、心に一ミリも引っかからず、原作に対する熱も冷めて放置していたのだが、もうすぐ新刊が出るそうで、その後どうなったのかの誘惑に耐えかねてついに読んでしまった。

 

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物語は社会不適合者のイケメン書道家島流し物語。島での田舎生活や島民との交流を経て、書道家として、人として成長していく様を描く人間ドラマ。アニメがすこぶる面白く、その後の話を読みたかったが、その後のお話も期待に違わず面白かった。しまった。早く手を出せばよかった…。

 

タイトルの「ばらかもん」は五島列島の方言で「元気者」の意味らしい。作者の方が五島出身、在住の人でそういうタイトル内容の作品になったようだ。しかし、元気者って…。

 

1巻から6巻までがアニメ化された部分に当たるのだがちょっと感心した。本当に原作を忠実に再現してる。次回予告の前のおまけの部分まで原作を使ってたんだね。いやアニメスタッフは本当に良い仕事をしてる。グッジョブ。序盤、絵柄が安定してない原作よりもむしろアニメの方が完成度高いと個人的に思う。本当にグッジョブ。アニメ見たなら1巻から6巻までは読まなくてもいいと個人的に思う。

 

この作品の最大の魅力はやはり主人公、半田清こと半田清舟(筆号)の存在だと思う。いや、あざとい。あざといキャラだ。島民の子供に初見でジュノンボーイと呼ばれるほどのルックス。書道家としてそこそこの実績を持ち、親はその道の大家。超ハイスペックなキャラクターなのだが半面、一社会人としては超ポンコツと言うギャップがあざとい。精神年齢が幼くメンタルが凄まじく弱い。いや本当にあざといキャラだ。これは萌える。いかにも漫画チックでファンタジーのキャラ。現実には絶対存在しなさそうなキャラクターが、これまた素朴を強調した、ザ・村の子供or村民たちと言った、またまた田舎ファンタジーなキャラたちと織りなすふれあい日常ドラマが基本のお話になる。うん。完全に作者の掌で操られているちょろい読者だとは思うのだが仕方がない、認めよう。心地良い。ファンタジー×ファンタジーだと明後日の方向に話が飛んで行ってしまうんじゃないかと思うのだが、細かい所のディテールが結構しかりしてて、おとぎ話から現実ぽっい話に何とか引き戻している。村の情景や風習だったり、住んでる日本家屋の構造とか細かい小道具だったりが本当に現実的で昭和チック。主人公の家のガラス戸の鍵とか本当に細かくて正しい。あと黒電話とかね。私も長い事古い日本家屋の家に住んでいた人間なので、読んでてあるあるネタが多くて非常にノスタルジックな気持ちになった。

 

7巻以降の話もどれも面白く楽しめた。特に良かったのはきよバアの葬式の回。このエピソードは本当に良かった。身近な人間を亡くした人間の感情の起伏だとか突然フラッシュバックされる過去の思い出だとか、「ああ、確かにそー言う感じだった」と思わず呟いてしまうほどよくできてる。特に幼児の死者に対する恐怖というか悲しみってやつ、ホントに根源的な何かを感じ取って泣く様とかね、細かい描写なんだけど既視感が半端ない。

 

基本、1巻につき大きいエピソード一つ、その中に細かいエピソード1つ2つ挟んで、包括して大きいエピソードが完結するというかっちりしたスタイル。1巻づつで大きいエピソードが終わりそれが続いていくという形も心地良い。よく構成されている。分類すれば貴種流日譚の贖罪型に当てはまるのかな。分かっていてもベーシックな成長譚と言うのは面白い。主人公が着実に成長するさまも心地いい。杖を突いてるヨボヨボの老人をぶっ飛ばしてしまうようなヤバい若者が、島のガキンチョや大人に学び、よくぞそこまでまともになった様は結構感慨深い。習字の月謝で2万も毟ろうとする世間ズレさは相変わらずだが…。15巻も楽しみだ。

 

 

 いや。CDはいらんが…。

 

 

 

 

「真夜中のカーボーイ」(1969)ろくでなしのバディーもの。

筋少の歌う所の「サボテンとバントライン」が凄く好きで、歌詞の中に登場する少年が見とれて爆死する映画とはどのような作品なのだろうと思い、いつか見ようと思ってから20数年…。ずっと見たいと思っていた映画なのだがようやく見た。

 

テキサスからニューヨークに出てきたボンクラ、ジョー(ジョー・ボイド)とニューヨークからフロリダに旅立ちたいと願うドサンピン、ラッツォ(ダスティ・ホフマン)の友情と破滅の物語。

 

ジョーはカウボーイスタイルに身を包み、ジゴロ稼業で生きていこうとしている相当なボンクラである。見た目は悪くないが発想や行動が全て軽く、薄く、何をやっても上手くいかない。女から金を巻き上げるどころか逆に金をむしられる。万事上手くいかな過ぎて貧困に窮し、ゲイを相手にするもそれも上手くいかない。基本ボンクラだが性根の良い男で悪い男にはなり切れず何事も上手くいかない。しかも過去にトラウマがあるらしく結構な闇を抱えている。

ラッツォはネズ公とあだ名される小男である。肺を病み、大都会ニューヨークに生きる片足が不自由な最下層の貧乏人である。閉鎖された廃墟のビルに巣食い、貧困と絶望を友に都会の生活を送り、ケチな窃盗や田舎から出てきたボンクラとかをカモにして生活の糧に生きている。 ひょんなことから共同生活することとなった二人が何とか貧困から這い上がろうとして足掻くのだが上手くいかない。基本的にろくでなし達の話であり、主人公二人の考えは浅く稚拙だ。それゆえ何もかも上手くはいかない。当然だ。世の中そんなに甘くないし簡単ではない。テキサスの田舎での皿洗い仕事や、過去のトラウマだとかを払拭するためにニューヨークでジゴロ稼業で生きていこうとしたジョー。ボンクラである。ボンクラの極みだ。冒頭の話に戻るが、少年が見とれて爆死するほどの映画か?と序盤のボンクラの旅立ちから大都会ニューヨークでの厳しい現実の件を見た時は思った。正直ボンクラによるボンクラな発想のボンクラ展開。キツイ。話が一変するのは、ラッツォの登場からである。話はここから面白くなる。貧乏人が貧乏人をカモにする。カモと詐欺師が仲良くなる。皮肉で滑稽な話が都会の貧困と交わり何とも切ない。都会の厳しい現実。当てのない理想と容赦ない貧困という現実。優しく手を差し伸べてくれる者など誰一人としていない。手を差し伸べてくれるのは己の半身のような貧乏人。皮肉すぎるし切ない。しかしそこが最高に面白い。皮肉や切なさはイコール面白さなのだ。またまた皮肉な話だが…。不承不承に始めた共同生活の中で二人は協調し同調し始める。ジョーとラッツォは容姿や風貌、生まれや育ちは違えど似すぎているだ。ジョーはテキサスの田舎からニューヨークへと逃避し、ラッツォは寒い大都会ニューヨークからフロリダのマイアミへの逃避を夢見ている。お互いに孤独で貧乏人。行く当てもない。違いは行動力と知恵だ。ジョーは知恵が足りないものの行動力がある。ラッツォは行動力はないが知恵がある。二人はだんだんとお互いに惹かれはじめ友情を深めていく。作中ホモネタは多いがこの二人に関してはそうゆう類の関係ではなく、ソウルブラザー的な関係になっていく。

 

ハッキリ言えば、貧困の奈落に突っ走って破滅していく青年2人の救いのない話なのだが、中盤から終盤、ラストの流れは、またまた冒頭の話に戻るが、少年が夢中になって見とれ爆死するのもさもありなん、と思える面白さだった。互いに今いる場所からの逃避を望み、今ある生活からの脱却を願っている。貧困の悲惨さと孤独。そこから逃れられない先の見えない無い不安。1969年に作られた作品だが十分にそのテーマは現在進行形でわが身の事のようにも思える。最終的にジョーは悟り、真っ当な道を歩むことを決意するラストにはなっているのだが、その先は闇の中だ。世の事の理は因果応報。はっきり言ってジョーの未来には過去のツケから考えて、大きな破滅が待っている。しかし破滅のその先のジョーの人生がどうなるのだろうと考えれる開放感のある最後になっている。

 

しかし1969年の作品が2017年の現在でも骨身に染みる感じというのは、世界と言うのは全然変わらないし救われないのだなと思える作品だった。面白かったけどね。

 

まあ、私が甲斐性無し、ろくでなし属性の人間だから感じるモノが強いってだけなのかもしれんが…ぎゃふん。

 

 

 この映画ダスティ・ホフマンの演技が評価されがちだけど個人的にはジョー・ヴォイドの方がいいと思った。トッポイ、カウボーイかぶれの兄ちゃんを好演してる。流石、アンジェリーナの実父。無論ダスティ・ホフマンの演技が凄いのに異論はないけど。

 

 

「LOOPER/ルーパー」(2012)時がたてば風貌も変わるが…。

髪の毛が亡くなっていく様を見せられるのは正直辛い。特に物語途中の落ち武者ヘアー。キツイ。時の流れって残酷ね。あ、映画の話。

 

洗髪するたびに排水溝にたまる自分の髪の量を見ていたら切なくなったので久しぶりにブルース・ウィリス師匠の出ている映画を見たくなった。ちなみにウィリス師匠の出ている作品で1番好きなのは「12モンキーズ」だったりする。と言ってもはるか昔にに見て以来見直していないので内容はほとんど覚えていない。見た当時やたらと胸に突き刺さった切ない衝撃とラストに流れるストロングのエンディング曲ぐらいしか覚えてない。その程度の不詳の弟子です。正直な話「ダイ・ハード」も2までしか見ていない不詳の弟子だったりする。なぜか2以降見る気にならんのです。すんません師匠。…抜け毛の量が多いだけでまだ全然剥げてないですけどすみません師匠。

 

で、手に取ったのが本作。ウィリス師匠とジョセフ・ゴードン=レヴィットが出演しているので見ることにした。理由は単純。ジョセフ・ゴードン=レヴィットが好きなんす。どこがって言われると困る。まあ、好きなんです。何となく頼りない柔和な顔が嫌いじゃない。それだけなんだけど、これが相当面白かった。

 

物語はタイムトラベルもの、未来の殺し屋の話。2044年、主人公ジョーは「ルーパー」と呼ばれる殺し屋を生業にしている。ルーパーとは未来から転送されてくる標的を殺す処刑人。2074年、30年後の未来では殺人が犯せないらしい。なぜかと言うと生命管理の為にナノマシンが体内に埋め込まれていて、殺人が不可能な世界になっているとのこと…。よくわからんが国民背番号制もびっくりの超管理社会で極秘裏に人を殺すことが不可能という事らしい。身元情報から色んな所に足がつくという事か。因みに2074年のアメリカには「レインメーカー」を名乗る強大な力を持った支配者が巨大な犯罪組織を仕切っているらしい。レインメーカーとか言われちゃうと、新日の金髪のプロレスラーを私は想像してしまうのだが、本作のレインメーカーなる人物は金の雨は降らせないが血の雨は降らせるらしい。おっかない。

そこで犯罪組織は開発はされたが法で使用を禁止されたタイムマシンを使って消したい標的を過去に飛ばして殺すという回りくどい方法をとる。因みにこのタイムマシンは30年後の過去にしか人を飛ばせないし片道切符の不完全な品物らしい。見た目はガンダムのボールの手や砲身がもげた姿にそっくりでウェザリング感が半端ない。うむ。嫌いじゃないレトロなデザイン。

ルーパーたちは未来の犯罪組織からの指令で、未来から飛んできた標的たちを消していく。方法は難しくない。所定の場所に赴き、所定の時間、場所に飛んでくる標的をラッパ銃と呼ばれる散弾銃で撃ち殺す。本当に飛んできた瞬間に外しようのない至近距離から撃ち殺す。殺した後は死体を焼却炉で焼却する。報酬は銀の延べ棒。これは殺人の対価で、標的の体に括り付けてある。現物支給で仕事をこなせばこなすほどもうかるシステムになっている。ガンガン殺す流れ作業。諸行無常である。

そんな未来の殺人代行業ルーパーは簡単なお仕事だが破ることのできない掟というものがある。未来から送られてきた標的は必ず殺さなければならないという事だ。例外はない。もしも破れば組織から消される。例え送られてきたのが未来の自分であったとしてもだ。

ルーパーにも引退がある。30年後から送られてくる標的をルーパーたちは殺していくのだが、送られてきた標的が30年後の自分だった場合、それが最後の仕事となる。ルーパーと言う仕事は自分で自分を殺すことによって完結する。その行為を「ルーパーを閉じる」というらしいのだが、ルーパーを閉じて引退しその後30年前の自分に殺されるまで余生を過ごすことになる。

 

この基本設定の下に物語は進行していく。主人公ジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が、30年後の自分(ウィリス師匠)を仕損じて逃してしまいそれぞれの思惑を胸に追跡劇が幕を上げる…と言ったお話。

 

いや良い。まず世界観や小道具の数々が良い。輪っかの付いた車とついてないバイクがある世界観。鳥山明大友克洋の描く未来の世界の小道具感が満載で見ていて楽しい。未来っぽくないのに現実離れしているその感じが素敵。ちょうどいい感じ。やり過ぎてない感じがホントに良い。小ネタも良い。この世界の時間軸はドラゴンボール的な並行世界では無くて直列世界で考えられている。過去の行いが未来に直結する。そのネタが満載で作中でも最初から最後まで緊張感を煽っている。あとTKと呼ばれる能力が鍵となっている。TK…小室哲哉の事ではない。この世界では念動力(超能力)の事をそう呼ぶらしい。突然変異で人口の約10%の人間が持っている能力との事。…突然変異って便利な言葉だな、という率直な突っ込みは置いといて、このTKの視覚的表現が物語終盤に炸裂する場面があるのだが、まんま童夢AKIRAだったりして見た目に楽しい。みんな大友克洋好きだな。まあわかるけども。

 

生きるためルーパーになり、食うため銃をとり人を殺す。欲するものは愛だが手に入れられず、虚無で刹那的な人生を歩むジョー。ルーパーが閉じてからの30年でついに手に入れ、失った愛を守るため、命と未来をかけて、30年後の過去に戻りまた人を殺すオールドジョー。それを阻止し自らの命の為、未来の為に、オールド・ジョーを殺そうとして、30年の工程をすっ飛ばして、愛するもの、守りたいものを見つけてしまったヤングジョー。結局の所、愛の為に自らの全てを賭けるヤング・オールド両ジョー。何とも皮肉で切ない話である。大体がルーパーと言う仕事に就くという事は、限定された生を得る代わりに必ず来る破滅、カウントダウンされる死を受け入れるという事。死んだように生きていたヤング・ジョーにとって、オールド・ジョーを追っかけ初めてから最後の瞬間までの刹那は、間違いなく自分の選択で、意志で生きるという事を実感できたのではなかろうか?と思うと少しは報われたのではとも思うが切ない。

 

しかしジョセフ・ゴードン=レヴィットから老化してのブルース・ウィリス師匠はない。客観的に見てない。一応特殊メイクと化してジョセフ・ゴードン=レヴィットが所作とか口調とかをウィリス師匠に寄せているらしいのだが、それでもないだろという思いが序盤は凄く強かった。けど終盤はその違和感が払しょくされ、レヴィット→ウィリス師匠が普通に見えたので、ますます私の中のジョセフ・ゴードン=レヴィット株が上がった。

 

見終わってから思い出したのだが「12モンキーズ」でもウィリス師匠は未来から過去に飛んだ男を演じていたことを思い出した。過去に2回跳んだ男ブルース・ウィリス。なんかカッコいい。しかし本作は本当に面白かった。感心するところも突っ込み所も満載で満足した。うーむ。ブルース・ウィリス師匠の他の映画も見てみるかなと…。

 

ぎゃふん。

 

 

 どんだけ辛く苦労した30年だったか考えさせらる老け方だ…。

 

 

 

カッコいいハゲ…トップオブハゲ。

最近、髪の毛がやばい。若い頃は固すぎて腰のあった髪が柔らかくなってきている。洗髪時の抜け毛も半端ない。そうハゲの世界の引力に完全に持っていかれている。ああ悲しき万有引力。どんどん引っ張られて抜けてゆく。ヤバい。

 

要因はある。沢山あり過ぎる。まずは老化。これはどうしようもない。時が前へ進むのは何人にも変えることのできない不変の法則。どーにかできるのはフィクションの世界だけ。現実に生きるこの身ではではどうにもできぬ。諦めるしかない。合掌。

次にストレス。仕事。私生活。生活環境。心配性。ありとあらゆる事象にまつわるetc…。これもどうしようもない。改善すれば変わるのか?答えはNO。改善したところでまた違う悩みを生み新たなストレスが発生する。一度その沼に足を踏み入れれば抜け出すことは皆無に等しい。何という負のスパイラル。アウチ!

最後に遺伝。こればかりはホントにどーしようもない。うちはハゲてる人間が父方にはいないが母方の親族にいるのでハゲの因子はあると思う。頑張れ父方の遺伝子!これこそ髪ならぬ神に祈るのみである。信仰心のかけらもない無神論者なのだが…。

 

ああ、ハゲるのやだな。まず「ハゲ」という言葉が強すぎる。

ハゲ。すごく強い。言葉尻につけるだけで強烈な侮蔑の言葉と化す。

「黙れ。はげ。」「失せろ。はげ」「死ね。ハゲ」

うっはー。強いしキツイ。前の言葉がキツイからだよ、という意見があるかもしれないが、しかしである。

「おはよう。ハゲ」「こんにちは。ハゲ」「さようなら。ハゲ」

強すぎんだろ。どんな言葉につけたって強烈なのだ。例え身目麗しきご令嬢に言葉を賭けられても死にたくなるほどの侮蔑の、いやもはや呪いの呪文の様だ。

 

そうやって考えると剥げてる人と言うのはメンタルが、剥げてない人より確実に強い気がする。というか弱い人間でも強くなるような気がする。という事は豆腐メンタルなこの私も、ハゲれば少しはメンタル強くなるのかしらん、と思うと悪い事ばかりでもないかも。いやいやそれでもハゲたくない。

 

それに世界にはカッコいいハゲもいる。漫画「怒りのロードショウ」でも語られていた話だがジェイソン・ステイサムみたいなカッコいいイケメンハゲだっている。

 

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           時代の頂点。ステイサムさん。

 

「カッコイイハゲは歴史とともに世代交代していくんだ」と語られていたが、今はステイサムさんが世代のトップオブハゲらしい。私も好きな俳優さんなので異論はないが、カッコイイハゲという言葉で真っ先に思い浮かんだのは、世界一ついてない警察官だった…。うむ確実に歴史は進んでいる。

 

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           ハゲと言えば。ウィルスさん。

 

ダイ・ハード」の頃はもう少しベジータ的だったんだけど完全に歴史の荒波にもまれて消えてしまった。私はこの方が真っ先に浮かんだんだが。もはや古いらしい。他にはどんなハゲがいるかと考えると…。

 

元祖イケメンハゲ。ユル・ブリンナー

007ハゲ。ショーン・コネリー

教授ハゲ。パトリック・スチュアート

ゲーマーハゲ。ヴィン・ディーゼル

…あとはジュード・ロウとかニコラス・ケイジとか。思いつくハゲ界の頂点の面々はこんなところか。

 

うーん。みんな好きな俳優さんだし、作品も結構見てる。

ハゲてても全然カッコいい。

しかし間違ってはいけない。ハゲがカッコいいのではない。ハゲててもそれがハンデにならないほどの魅力を兼ね備えているだけなのだ。当たり前だが。

まあ要はハゲ云々にかかわらず、人間としての魅力の土台次第という事なんだろう。

選ばれし、トップオブハゲ。神々しい。というか輝かしい?。

 

はっはっは。けれどそういった土台の無い人間としては、最後の最後まで足掻くしかない。ハゲ無いように頑張ろう。何を頑張ればいいかは分からんが…とりあえずわかめでも食うか…。

ぎゃふん!

 

 

 

確かに伝わる熱い波動…。「怒りのロードショウ」

 

痛いほど理解できる。その熱い波動…。趣味がもろ被りだ。

 

映画好きと言っても千差万別。基本的に同じ嗜好の人間はいない。限りなく近い嗜好の持ち主はいても全く同じはあり得ない。絶対に差異がある。そしてその嗜好が全く正反対だと大抵対立するし、めんどくさいことになる。この作品はそこのところをよく捉えている。一部の映画好き、あるいはある一定の年齢層必読の作品。…のような気がする。

 

この作品を読んでの第一印象は世代の違いだったりする。例えば今の30台中盤から40代後半までの世代*1はシュワリズム宣言なんかしてない人間でもほとんどの人がシュワルツェネッガーの映画、特にT2ぐらい前までのシュワ作品を殆ど見ているのではなかろうか?それくらいTVで頻繁にやっていた。まるで洗脳のように…。同じ週に「コマンドー」「レッドブル」「ゴリラ」「プレデーター」が昼夜を問わずやっていたときすらあった。どんだけ好きやねん!もしくはギャグなのか!…しかし改めて顧みると「コナン・ザ・グレート」からT2くらいまでのシュワルツェネッガーの主演作品の破壊力は凄まじいものがある。故に今の30台中盤から40代後半までの世代には潜在的なシュワ好きというのは多いような気がする。

 

 

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   首尾一貫してドッカーン!映画好き。俺も好き。シェリフ。魂の代弁者。

 

 

1982
コナン・ザ・グレート
Conan the Barbarian
コナン

 

1984
キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2
Conan the Destroyer
コナン

 

ターミネーター
The Terminator
ターミネーター(T-800)

 

1985
レッドソニア
Red Sonja
カリドー

 

コマンドー
Commando
ジョン・メイトリックス

 

1986
ゴリラ
Raw Deal
マーク / ジョセフ

 

1987
プレデター
Predator
ダッチ・シェイファー

 

バトルランナー
The Running Man
ベン・リチャーズ

 

1988
レッドブル
Red Heat
イワン・ダンコ

 

ツインズ
Twins
ジュリアス・ベネディクト

 

1990
トータル・リコール
Total Recall
ダグラス・クエイド

 

キンダガートン・コップ
Kindergarten Cop
ジョン・キンブル


1991
ターミネーター2
Terminator 2: Judgment Day
ターミネーター(T-800)

 

改めて見ても…凄い。凄すぎる。しかしどの作品も役柄は違ってもキャラは同じ。殆ど同じ演技だ!(笑)てっ漫画の話はどーなった。いや、とにかく主人公のシェリフのシュワ宣言が全てを物語る漫画なのだが今どきの子はシュワを選択し、見るという意志がないとこれらの作品を見れないと言う所に一番衝撃を受けてしまった。まあそれに変わるのが「バイオハザード」シリーズなのかもしれぬ。という事はミラ・ジョボビッチ潜在的なファンが拡大しているのか…。あと数年も立つとミラ・ジョボ宣言するものが現れるのかも…。個人的にはステイサム宣言するけど…。

 

 

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       プリキュアを愛するランボーヘアー。まさみ。

 

もう一つ気になったのは「プリキュア」。正直、作品自体を全く見たことが無いので、女の子が変身して何かと戦う?女の子向け幼児アニメという印象しかない。ないのだけど、どうもこの作品、物凄く色々な人々から支持があるようで、この手の漫画とかでは必ず取り上げられている。「特撮ガガガ」とかでもネタとして扱われていた。シリーズ化して長く続くという事は何らかの人を引き付ける魅力を持った作品なんだろうという事は理解できる。見る気にはならないけど。

 

シュワ映画とプリキュア。筋肉馬鹿映画と女の子向け幼児アニメ。これは共通した暗喩なのだろう。ネタとして叩きやすい題材、作中でも村山なる自称映画通がそれらをこき下ろす場面が多々あるのだが、テーマが無いとか幼稚とかそういった批判だ。

 

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           ぶっ飛ばしたくなる映画通 村山

 

しかし、それがどーした。

例え、幼児向けだろうが、低俗だろうが、筋が無かろうが、くだらなかろうが、テーマが無かろうが、そんなの関係ない。要はハマるかハマらないか。主観で面白いか面白くないか。たとえ誰からも理解されなかろうがどーでも良い。主観で見て面白いものを面白いと誇ろうと、むしろ誇れという熱い波動。馬鹿にされよーがこき下ろされようが好きな物を好きと言って誇ればよい。そんな熱い波動がこの作品には溢れている。

 

いやもう最高。何度も読みたくなる大満足の作品だ。

 

ちなみに私のベストシュワ映画はコマンドーではなくプレデターだったりする。それは譲れない。ぎゃふん!

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怒りのロードショー

怒りのロードショー

 

 店長とナカトミさんの件も良い。ぜひとも読んでほしい。溢れる映画愛、この波動…。

 

*1:ある一定の年齢層です。

ロン毛でアイパッチの男くさいヒロイックSF「エスケープ・フロム・LA」(1996)

好きな映画の話をしよう。控えめに言っても最高にご機嫌な映画。いやホントに。

 

 

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             「人間に戻れた」

 

何たるカッコよさ!スネークと言えばこの人。決してMGSのキャラではない。私の中ではカート・ラッセル=スネーク・プリスキンだ。そうゆう人、多いんじゃないのかい?

 

 

世の中はいい意味でも悪い意味でも変化するものである。けれどあえて変化しないものがあってもいい。むしろ変わって欲しくないものが世の中には結構ある。ジョン・カーペンターの作るBな感じの映画もそんなものの一つだ。この人の作る映画は粗削りでチープだ。決して変わらない。けれどそこが良い。キャリアや実績から言ったらもう少し予算のかかった洗練された大作映画を撮ってもよさそうなもんだが、この人、金を賭ければかけるだけその持ち味を失っていく印象が強い。少ない予算で暴走した方が持ち味の出る監督さんという素敵な方である。予算がかかる映画は大抵しくじるし間違える。予算の掛かった洗練された大作映画はサム・ライミとかピーター・ジャクソンとかにやらせておけばいいのだ。間違いないし問題ないし。

さてそんなカーペンターの絶妙にお金と話と面白さのバランスが取れた物語が「ニューヨーク1997」の続編にあたる「エスケープフロムLA」だ。私の中でのNo1カーペンター作品だったりする。

ニューヨーク1997」の続編と言っても完全な続編ではなくリメイク作品に近い。物語の内容は乱暴に言ってしまうとオカルトでSF。ドンパチ、潜入、波乗り、バスケ、ハングライダーにアメリカ魂。それらを一緒くたにした超ド級のB級エンタメ作品が本作である。何だか闇鍋の具みたいなごった煮なのだがこれがいい塩梅。絶妙なバランスで炸裂している。一歩間違えるとグダグダのカオス…そこを踏みとどまって奇跡のエンタメに仕上がっている。素晴らしい。チープで粗い感じもまたアクセントになっていていい。いやもうやられちゃいます、色んな意味で。やったぜ!カーペンター。いい仕事してる!

登場人物たちもスネークを筆頭に皆頭がおかしい。最高だ。あとはもうアメリカに対する皮肉とブラックユーモアの塊のような映画。単純にダークヒーローものとしても秀逸だと思う。突き抜けたバカバカしさというのは心地がいいねぇ。

しかし、映画の中で終身任期の大統領が大地震で崩壊した魔界都市LAに壁を作り、市民権をはく奪した犯罪者たちを流刑するくだりがあるのだが、現実世界でもメキシコ国境に壁作って不法移民者を締め出すって流れが妙にシンクロしてて興味深い。予言かよ。映画の中の時代設定も2014年だしね。3年先を行ってんのに1996年に作ったネタのような映画に近づいて行ってるこの現実。これって作った当時は、こんな未来になるなんてこれっぽちも思わないでギャグかネタ的な勢いで作ったと思うんだけど…。このままいくと行き着く先はMADMAXかって思う今日この頃…。…それはそれで面白そうだがそんな世界では生き抜けない。頭悪いし痛いですね。ぎゃふん。

 

 

エスケープ・フロム・L.A. [DVD]

エスケープ・フロム・L.A. [DVD]

 

 BD化されていない…。なぜだ…。

 

 

完走したんで簡素な感想。『真田丸』(2016)

        

今頃かよ…我ながら今更感が凄まじい。終わってから2か月たって、ようやく見終えた。リアタイ視聴できない性質になってしまった…。とほほ…。

 

全然旬な話ではないが、ともかく初めて大河ドラマを完走した。見切った、我ながら凄い。…故に感想を書く。

 

これまでもいくつか大河ドラマは見ているんだけど完走したことはなかった。最初だけで挫折したり、中間の面白そうなとこだけ見たり、終盤の怒涛のラスト付近だけを見たりと言った典型的なありがたくない視聴者だったわけだが、今回は完走した。

これはひとえに真田幸村と言う題材のおかげだと思う。戦国最後の仇花、真田幸村。凄く良い。幼少のころから2番目に好きな歴史上の人物と言うのが一番の要因だと思う。因みに全く関係ないが1番好きなのは日本武尊だったりする。幼年期に読んだ漫画だの小説だのの影響で思い入れがあるのだが、結局そういうのが一番デカいモチベになったりする。

脚本家の三谷幸喜さんの書いた前回の『新選組!』は頭とケツを少し見たくらいなので、それ目当てで見たのではない。というか三谷さんは年々、面白くなくなってるという印象が強い。本作も正直諸手を挙げて称賛するというわけでもない。正直序盤はきつかった。慣れるまで、麻痺するまでは本当にきつかったんだけど、慣れって怖いもので、中盤からは結構スムーズに見れた。軽い、上滑りする独特の寒い笑いも普通に受け入れれる自分がいて驚いた。

正直な話、第一次上田城攻防戦の想像以上の合戦シーンのショボさ加減に見るのやめようかと思ったのだけど、あの時やめないで本当に良かった。中盤以降の、あえて合戦とかのアクションを全部端折って群像会話劇に仕立てたあたりが非常に良く、話の情報量を減らさず円滑かつ高速に物語を進行させるやり方には感心したし好感を持った。物語自体の筋の良し悪しは別に、物語の構成は秀逸だった。個人的にはツボだった。

で、終盤戦の話なのだが、これまた中盤以降の流れに乗っていてテンポが良く面白かった。話の筋自体はもはや分かり切っているのだが、判り切った上でも面白かった。これは、最初っから最後まで知ってる漫才や落語を何回も見たり聞いても面白く思う感覚に近いかもしれない。要はやり方や見せ方の問題なのだが、そこが良かった。

出てくる登場人物たちも、非常に分かりやすい個性を誇張しているところが若干鼻につく感もあったが、それでも良しと思えるほど魅力的だった。木村重成とか後藤又兵衛とか塙団右衛門とか毛利勝永とかが結構フューチャーされてて個人的にはうれしかった。講談とかの世界観、いいよね。しかし男闘呼組の人は相変わらず男前ですな。凄くカッコいい。というかこの人が幸村でもいいくらいカッコいい。あと一世風靡が浪人五人衆の二席を占めて居るのに時の流れを凄く感じた。

幸村役の堺雅人さんですが個人的ににやけてる顔のイメージが強い印象を持っている。引きつった笑い顔。そんな印象。別段そんなに好きでも嫌いでもない俳優さんなのだが、映画の「ゴールデンスランバー」とかの印象が強く、自分の中では何となく情けない、うだつの上がらない役の人という印象だった。

序盤から中盤はまさにそんな感じで、彼演じる信繁は、自由人な親父に、色んな意味で狂ってる太閤に、想像を絶する堅物石田治部に翻弄される。頼りにはなるんだけどどことなく抜けている情けない感じの青年だった。が、終盤ではそういった感じを残しつつも戦国最後の仇花らしい威厳のようなものも演じ、「ああ。こうゆうのが見たかったんだよ」と思えるような幸村を演じきっていた。素晴らしい…見事だと思ったのだが、よく考えるとこの人倍返しの人だったんだな。そっちは見てないので何とも言えないんだけど、幅の広い演技のできる優秀な役者さんなんだな。多分。

 

想像よりもいい終わりだった。良い終わりだったように感じた。満足した。

 

終わった。とにもかくにも見終わった…。ただ…長かったよ。50話は長い…。

終盤は適切な話の分量だったように感じたが序盤、中盤…。

 

面白かったけどね…ぎゃふん!

 

 

g029.hatenablog.com

 序盤はもう少しコンパクトにできたのでは…。

 

g029.hatenablog.com

 中盤は端折り過ぎたのでは…。

 

 

 

 

 

 

 

BD欲しい…ような気がする・・・・。ヤバい…。 

 

誰でも少し狂っている。頂点にいる者達は、相当狂ってる。「WILD FOOTBALL サッカー界の暴れん坊たち」(2017)手原和憲

本作の作者である手原さんの書くサッカー漫画が好きなんです。短編集「68m」で初めて知ってファンになり、前作の「夕空のクライフイズム」も相当良かったんですよ。特別ではない高校生フットボーラー達の情熱、もがきとかあがきを上手い事描いていて相当良かったんだけど個人的には本編よりも、もっと楽しみにしていたものがありまして、後書きの漫画が正直本編よりも面白かったんです。本末転倒かもしれないけど本当に好きだったです。サッカーに関する四方山話のエッセーテイストの漫画なんだけれど、これが抜群に面白くて楽しみにしていたんです。もういっそのこと全篇これを書いてくれればいいのにと思っていたら、そんな夢のような漫画が本作だったりするんです。意外と思ってることは皆一緒なのね…。めっちゃ嬉しいんですけど。

 

本作では過去の伝説的な選手から現役の選手まで、その選手にまつわるワイルドなエピソードを紹介していくだけの漫画なんですが、これが面白いんです。ほとんど知ってるエピソードばかりなのに面白いんです。何なんでしょう?この感じは。同じ漫才や落語を聞いてるのにずーっと楽しめるあの感覚に近いのかな。話の筋としてはサラリーマンの男がスポーツバーのメガネ美女にサッカー選手についてのエピソードをレクチャーされるという体をとったお話です。有名な選手、監督、経営者が紹介されていくわけなんですがワイルドですよ。まあアクの強い人間をチョイスしている訳なんで当然と言えば当然なんですが…それでも濃いです。

 

個人的にサッカー界のワイルドな人間と言われて思い出す人物が二人います。エリック・カントナズラタン・イブラヒモビッチの二人です。暴君の双璧です(笑)。嬉しいことにこの二人も本作で紹介されています。奇しくも二人ともマンUの選手なんですね。私はマンUファンでは無いのですがこの二人、凄く好きなんです。生粋のCFタイプで俺様体質、エゴイスティックなまでのゴールハンター。パスは二の次でとにかくゴールを狙うその姿勢。素敵です。そしてその二人のエピソード、クレイジーです。イブラは自伝も読みました。やはり可笑しいですこの人。まあ言動は完全に痛い人なんですが、その能力は折り紙付きで規格外の選手なんですよね。ロナウド(大五郎のほう)と対戦した時のエピソードとか最高です。そしてなんといってもキング、エリック・カントナ。もうカンフーキックのエピソードが全てを物語ります。完全に規格外すぎます。最近この二人、マンUのキングの称号をめぐってマスコミを通じて論争してましたが、存在感が似てますよね。タイプは違いますが。まあ二人とも遠くで眺めている分には面白いけど、近くにいたら厄介過ぎるんでしょうが…。実力があって頼りにはなるんですが、それゆえ扱いが難しく厄介な所も似ている…。類は友を呼ぶとはよく言ったもんですねぇ。

 

…でもそんな選手が好きなんだなぁ…ぎゃふん!

 

 

 

 

 

いつも心にブロンソン。『スーパーマグナム』(1985)

めっちゃ好き。ブロンソン。何が良いのかよくは分からないのだが、なぜだかその雄姿を目撃すると胸が熱くなる…。それが私のブロンソン。…いや正確には私の物ではないのだが、人はみな心にブロンソンを持っている。持ってない人は持つべきだと最近思う。強く思う。結構マジである。

 

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サインとか全然興味ないけどブロンソンのはちょっと欲しい…。そん位好き。

 

私とブロンソン作品との最初の邂逅はデスウィッシュシリーズ2作目「ロサンゼルス」だったと思う。…幼少の頃、TVで見たのだがトラウマ級に胸糞悪いお話であった。悪党どもに娘をレイプされ殺された主人公、ポール・カージーの復讐譚…。幼少の時期に本来見るべき映画ではないような気もするがこの作品を見て、アメリカ、ロサンゼルス=この世の地獄。アメリカ人はまともな奴とヒャッハーの2択。アメリカは銃がないと生き延びれないような治安の悪い国。そして悪党はバンバン殺す!=アメリカ!怖え!そんな風に幼少期に刷り込まれた作品であった。正直、ブロンソンを見るまで私は、見た目がカッコいい風貌=主役と言ったお子様的な外面でしか判断できない未熟な子供でしたが、この作品を契機に男のカッコ良さとはそういったものではないのだ!と悟りブロンソンの野暮ったい男くさい風貌に魅了された人間になったのでした。毒された。

 

本作「スーパーマグナム」はシリーズ3作目にあたる。シリーズものにとって3作目というのは…鬼門である。伸るか反るか、当たりか外れかハッキリしている。外れの可能性が異様に高い。そんな印象を個人的に感じるのだが、本作はある意味あたりであると言える。ある意味で、ある。これまでは、主人公が殺人に対するある程度の葛藤、救いようのない悪党を殺すにしても良心の呵責や殺人を犯す恐怖なるものが多少なりとも描かれていたように感じたのだが、本作にはそれがほとんどでない。というか無い…。もはやリミッターはない。悪党は高く吊るす。悪党には死を。もはやハムラビ法典から脈々と続く古典的な法しか其処にはない。目には目を、歯には歯をである。悪党には死を。テーマはもはや無いに等しい。全二作よりも、完全にはっちゃけている。悪党皆殺しエンターテイメントである。…もはや好みの問題であるが、私はこれは有りだった。大いにありである。面白い。最高だ。老齢の親父が町のダニどもを皆殺しにする様は、醜悪や滑稽を超越してもはや清々しい。ちなみに私が久しぶりに見たのはDVD版で日本語吹き替えが無かった。本作がTVで放映したときの吹き替えのセリフで脳裏にこびりついて忘れられない台詞がある。老婆が通りで町のギャングどもを撃ち殺す主人公の様を見て「見て!カージーさんが町のダニを撃ち殺しているわ!」と言うあまりにもファンキーすぎるセリフを記憶していたのだが、それが無く残念だった…。印象深い素敵な台詞だったので本当に残念だった。

 

と、ここまで書いといてなんだが、本作は映画としては雑であり、正直人に薦めれる映画ではないことを明記しておく。何しろテーマが無いに等しい。悪党には死を!しかない。主人公のカージーさんもカッコいいんだけど薄っぺらい。行動の動機とか、心情とかとにかく薄っぺらい。大体が町に来ていきなりラスボスに目をつけられ「ぶっ殺す!」と因縁つけられてるのに、あんま気にせず女弁護士と良い仲になるカージーさん…。あんたとかかわると大抵の人が不幸になってるのに、まったく学習していないカージーさん…。しかもいい仲になった彼女を悪党にどーにかされちゃうのだけど、え!そんな感じなの???というぐらいあっさりしているカージーさん…。薄っぺらい…。あとは、悪党が北斗の拳や、MADMAXに出てくるモブのようなTHEイカレポンチしかいない。まあ北斗の拳はこの作品の影響下の作品ですがね。原作者、武論尊ですもの…。でも北斗の拳やMADMAXに出てくるイカレポンチたちの方がまともかもしれないような薄っぺらいイカレポンチの群れが、当時のNYの街にはびっこているという設定…。どんだけ治安悪いんだよ。例えるものが荒廃した未来が舞台の漫画と映画より酷い現代舞台の街並みって…。誇張があっても怖えよアメリカ…。あとラスボスの逆モヒカン…。怖さより先に笑いが来る。ギャグじゃん…。

 

しかし、そんな些細なことはどうでもいい。正直それでも好きなのだなこの作品。もうねブロンソンムービーなのですよ!ブロンソン64歳当時の作品ですよこれ!まあ動きは鈍いしキレはないけど、それでもカッコいいんだもの!凄いなぁ!64のアクションスターだよ!風貌こんなんで動きも鈍い親父が悪党を次々に処刑していく様は、もうそれだけで感動モノです!結局の所、話の筋がどーとか、展開がアーとかどーでもいい。ブロンソンが出てればそれでいいのだ。それで成立するんだから本当に凄いよ。ブロンソン。…マジで好きなんだけどね。どーも伝わらないんだなこれが。

 

ぎゃふん!

 

 

 

 BD化激しく希望!マジで‼‼‼

 

 

「志村‼後ろ‼後ろ‼』じゃないアニメの方。 ドリフターズ(2016)

ちなみドリフだと「8時だよ全員集合!」の舞台セットがはけていく所とセットが展開する場面が凄く好きだったりする。

 

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原作 平野耕太 監督 鈴木健一 作品

 

原作が好きで楽しみにしてたら地上波で放送しないというこの事実。隣の岐阜、美濃の国では放送されるのに、織田信長のご当地である、愛知、名古屋…尾張の国では放送なしのこの現実。非常に厳しい。なんか信長終焉の地である京都では放送があったそうな…。というか放送地域少な!5つしかない!その代わりインターネット配信があったそうなんですが…期を逸してしまいました。そんなわけで今回、全話まとめて視聴したんですがこれが非常に面白かったというお話です。

 

好きな歴史上の人物で仮想ウォーゲームを!という歴史好きがちょっと頭を打ってしまってこじらせちゃったような本作ですが、やっぱり面白いんですよね。正直、日本人がちょっと多すぎるような気もしますがそれでも面白いんです。実際な所、原作も最初はどうかと思ったのですが、国盗りものになったとたんに面白くなってきました。アニメもやはり国盗りものになってからが最高でした。

あとアニメだと首おいてけ感が半端ないですね。原作の時よりも首おいてけ感が濃いような気がします。なんか作中の薩人の表現が…なんかこれ鹿児島の人はどんな感じなんですかね?結構派手にディスられてるような気もしますが…むしろ誇らしいのか?

 

個人的には豊久が妖怪でハンニバルが素敵で信長がイカシテいると思います。あとおかまのサンジェルミがコメディーリリーフとして秀逸だと思ういますね。個人的にはスキピオあたりがもっと活躍することを期待します。

 

原作がそこまで進んでないんで、そんな感じで終わるんだろうなと想像していましたが、やはりそんな感じで終わりました。

 

だろうね。だろうよ!

 

 

 2期の製作が決まったそうですが、原作あんまリ進んでないので、一体どれはど先のことになるのやら…。間違ってもオリジナル展開とかはマジ勘弁してほしい…。

1月も今日で終わる…。

一月の感想です。

 

新年明けてから…何もやってねえ!

初詣もいってねえ!

お年玉は…強奪された!というか奪いに来やがった!

忘却したい、やりたくねえ事だけはきっちりやってる!

なんかやりたい、やらなくてはいけないような気がすることは本当に何にもやれてねぇ!

 

…まあ、そんなデホルトな1月でした。

休みもほとんど外に出なかった。本屋ぐらいしか行ってねえ…。

これはいい歳したおっさんとして大丈夫なのだろうか。いや多分駄目だろう。

しかし今に始まったことではないし、じたばたしても仕方がない。寒いしね。

受け止めよう。潔く、受け入れよう。

 

ああ、ダメだ。1月はダメダメ。

 

正直こんなおばさんに無言でファインダー向けられたら相当怖い「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」(2013)

ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル監督作品

 

正直、写真の良し悪しが分かるような人間ではない。残念ながらそういった感性は皆無である。もっと言うと絵画の良し悪しも正直分からん。色彩感覚的な事も、技術的な事もさっぱりである。多分説明されてもすぐ忘れる。多分5秒ぐらいしか覚えていないであろう。そういう自信はある。威張って言うようなことではないが、間違いないのである。とりあえず私はそんな程度の人間だという事を理解していただきたい。

 

本題に入る。本作は、ヴィヴィアン・マイヤーなる写真家に焦点を当てたドキュメンタリー映画である。もっとも写真家と言ってもこのヴィヴィアン・マイヤーなる人物は、生前は全く作品を発表していない。というかその作品は全て死後に公開されたものである。本作はその公開に至る顛末と、そこから始まるヴィヴィアン・マイヤーなる人物の足跡をたどるドキュメントである。

 

2007年、本作の監督の一人であるジョン・マルーフが歴史の資料にと、オークションで大量の写真のネガフィルムを手に入れたところから話は始まる。その写真の出来の良さに驚き、それを確かめるためブログに一部をアップしたところ、熱狂的な賛辞が次々と寄せられる。これにメディアも乗っかって絶賛。調子に乗って写真集を発売したら全米売り上げNO1を記録。展覧会を開けば押し寄せる群衆。撮影者の名は、ヴィヴィアン・マイヤー。すでに故人になっており、職業は元乳母。15万枚以上の作品を残しながら生前には公表することはなかった…。なぜ?…本作はその何故?を追っていく映画である。

 

この映画のトレーラーをテレビでたまたま見たのだけれど、これが良い感じだった。素性のよくわからない人間を追跡するのって結構好きなのだ。しかもその人物が才能ある人間でミステリアスな感じだともう辛抱たまらんね。因みにこの件の人物ヴィヴィアン・マイヤーは見た目は完全におばさんである。しかも芸術家風ではなく変人系な雰囲気が漂っている。特にその目。すげぇ怖い。冒頭の話ではないが、私に写真の良し悪しは分からない。技術的な事もわからない。が、この人の撮った写真は確かに良い。良いと思える。いい悪いじゃなくて、ぐっとくる感じがある。素人の撮ったものでは感じない、プロが撮った写真でもそんなに感じたことはないのだが、確かにグッとくるものがあるのだ。いや、プロが撮ったのでもグッとくることはあるけど。それくらい良いのだ。まあ作中では写真のプロの人たちの評論もあって、技術的な事やら構図の事やらで褒めているのでやはり才能は有ったのだろうと思う。私にはわからんが。才能が有り作品を数多く残したにもかかわらず、世間公表せずに没する。そんな芸術家っているのだろうか。…まあ結構いるのだろう。生前有名でなくても死後その才能が認められ有名になった芸術家というのは結構知っている。そういう人たちは、たいてい生前から、世間にはそれをアピールするもんなんだけどそれがないというのはどういう事なんだろう。そんな疑問を紐解くように本作はその人となりを手繰り寄せていく。そこには彼女の闇も垣間見えて、非常に興味深かった。結論的に言ってしまえば、ここで語られることは想像の域を出ない話ばかりでモヤモヤしたまま物語は終わる。何せ当人がもう亡くなってしまっている話だし、友人や親しい親類もほとんどおらず、本人が超内向的な人間だったみたいなので詳しいことが分かる人間がまるでいないのだ。よって彼女を知る数少ない人間たちの証言を基にした推論以上の事は提起されない。彼女を知る人間の証言が淡々と紹介されてい置くのだが、最終的に彼女の晩年はかなり経済的に困窮していたらしい。ごみ箱を漁り、生活していたエピソードなどを聞くと、ただただ、やるせなく切ない。死して名を残すことにどれだけの意味があるのか、正直今の私には分からない。何も残らぬよりは残した方が何となく意味はあるのだろうか?よく歴史に名を刻むとか、生きた証がとか言うけれど、正直死んだ後の名声や、功績などどうでも良くて、生きているその時間にどれだけ満足できるか?という事なのではないか。はたして彼女は満足できたのだろうか?何となくそんなことを考えさせられたそんな作品でした。

 

ヴィヴィアン・マイヤーを探して [DVD]

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Vivian Maier: Street Photographer

Vivian Maier: Street Photographer

 

 ちなみに私は今現在の自分の人生にこれっぽちも満足していない…。

ぎゃふん!!!!

 

 

 

 

 

2016雑感

何も成さず、成し遂げられない1年であった。…というか毎年そうなのでデフォルトな1年でした。ナマカワかつズボラな性格かつ生活をしているのでさもありなんな感じなのですが、年々酷くなっているような気がします。おっさんは辛いよ。ってアクティブなおっさん達も多いので「世の中の全てのおっさんに謝罪せよ!」と突っ込まれそうで怖い。最初に謝っときます、ごめんなさい。結局南極大冒険、もとい結局の所、持って生まれた本人の資質かつ本質が年々むき出しネイキッドになってきたのだろう。大槻ケンジ氏言う所のダメ人間にどんどん近づいているようで怖い。怖すぎる。そんな私でもなんとか社会の荒波にもまれ沈んではいるものの何とか死なずに今日まで生きてこれました。ありがとう八百万の神様etc…。そんな自分のダメさ加減と日々の奇跡に生かされ何とかやってこれた1年でした。本当に自慢にもならないが、自分自身の力やら周囲の人間の恩情なんかは1ミリも期待できないので来年も何とか神頼みで何とか生き抜いていく所存です。神の懐が海よりも広いことを祈って。良いお年を…。

ぎゃふん。

ろくでなし達のもがき「ラッキーブレイク」(2001)

ピーター・カッタネオ監督作品。

 

同監督の撮った「フル・モンティ」が好きだ。男性のストリップショーという奇抜なアイディアもさることながら、何ともうらぶれた、うだつの上がらぬ冴えないおっさん達が、そこに至る工程を、シニカルかつ愛情をもって描いていた。その丹念な作りが私の心の琴線に触れ非常に印象に残っている。故に 同監督の次回作も非常に期待していた。で、本作なのだが…15年前の作品である。という事は必然的に「フル・モンティ」は20年も前の作品になるのか…。いやはや、光陰矢の如しとはよく言ったものだ。先人たちは流石に偉大だね。よく世の理を分かっていらっしゃる。って、そんなことはどうでも良くて、本作の話である。好きだと書いておきながら何で15年たってから見てんだよっ!という突っ込みが聞こえてきそうであるが、実はこの作品、発売直後購入している。多分13,14年ぐらい前の話。それからずっと熟成してしまったのだ。何というか、買って満足してしまったのだ。見ればいいのに見ないんだなこれが。自分のことながら困ったものである 。

 

前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。本作の内容は監獄が舞台の脱獄物である。主人公であるジミー・ハンズは相棒であるルディと銀行強盗を試みるも無残に失敗。囚われの人となり監獄へと収監される。そこでミュージカル好きな所長を利用する脱走計画を思いつき実行に移そうとするのだがそこで色々と物語が…というようなお話。監獄×ミュージカル×脱獄×コメディというような感じ。

 

監獄物で英国物と言うと真っ先に思いついたのは「ミーン・マシーン」だったりする。あれは監獄×サッカー×コメディだったが、やはり単純な監獄物では何かが足りないという事なのだろうか?まあ、確かにこの手のシチュエーション物は最初にやったもん勝ちみたいなところはある。やり尽くしちゃうから後続に続くものは×何かが重要になってくるかもしれない。「アイディアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何物でもない」という言葉がしっくりくる。正しくそんな感じだ。ただ、何でもかけ合わせればいいというもんでもない。が、この監督はそこら辺のバランス感覚が優れているんだろうね。無理のある話をけれんみたっぷりに味付けしてるんだけど非常に面白かったですよ。

 

キャラクターもわかりやすく屑しか出てこない。ほぼ屑。まあ監獄物の前科者ばかりの話なので当たり前なのだがね。銀行強盗を働くほどの屑ながら、どうにも悪に染まり切れないヘタレな主人公。それに準じる相棒。物腰柔らかな詐欺師の屑。放火魔の屑。トマトの栽培に全ての愛を注ぐサイコな屑。囚人の登場人物に関して言えば、屑、屑、屑の群れ。唯一の例外は主人公と同室のクリフのみ。彼は善良かつまともな人間なのだが何とも間が悪い人間なのだ。色々な意味で…。囚人以外でもミュージカル好きな監獄所長。意地悪な刑務官。刑務所の女カウンセラーなどいろいろ出てくるが、皆なんかいろいろなタイプのダメな人間でキャラが濃い。

 

まあ最終的にはそれぞれの大円団を迎えることになる。一人を除いて…。正確には2人か?。まあよくまとまった良い映画だと思う。あとラストのエンドロールで流れる「サミー」が良い!死ぬほどいい。単純に私がこの曲が死ぬほど好きなだけなのだが。クリフがピアノで弾き語る「サミー」は凄まじく良い!元曲はバリバリのディスコミュージックなんだけど、カバーするのは皆こうゆう弾き語り風になるのは何なんでしょうか?まあ歌詞とかは弾き語りに相応しいような歌詞だからかな?よくわからんが個人的には奥田民生バージョンが好き。全く関係ない話ですが。

 

結局の所、人を変えるのは人ですよ、っていうような映画でした。あと、主人公の相棒ルディが嫌々始めたミュージカルにだんだん嵌っていく様が、個人的にツボでした。

 

なんつって。ぎゃふん

 

 

ラッキー・ブレイク [DVD]

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 主人公のジミーの風貌は、ダークサイドの落ちたマッカトニー、もしくはチンピラ臭を薄めたギャラガー兄弟みたいで、犯罪者面が様になっていて個人的には凄い納得しました。ダメかな?ぎゃふん。

DAYSの中沢監督があまりにも素晴らしかった話

酒もたばこも女も止められるのに漫画を読むのがやめられないボンクラです。ごめんなさい。

 

もう結構日がたってしまったのですが、感動が一向に薄まる気配がないのでここに記したいのです。

 

漫画の話です。すみません。

 

冒頭にも記しましたが、私は漫画を愛するボンクラです。

子供の頃、大人になったらきっと自然と卒業するのだろうと思っていたのですが、そんなことは全然なく、いまだに夢中で読んでます。ごめんなさい。

 

もはやおっさんですが、相変わらず夢中です。

 

さて本題に入りましょう。今回ここに記したい漫画は、現在週刊マガジンに連載中の作品「Days」です。

今年アニメ化もされたメジャーな作品ですからご存知の方も多いでしょう。高校サッカーが題材のスポ魂ファンタジー作品です。読んでる方は分かっていただけると思うのですが、ファンタジー要素の濃いサッカー漫画です。キャプつばほどではないですが、相当です。でも面白いんです。

 

因みに私はアニメの方は全くもってダメでした。見てられなかったです。ごめんなさい。

 

…それはさておき本題です。私が記したいのは週刊少年マガジン11月23日号のDAYS「175th day 信頼と尊敬」です。

これが本当に良かったんです。ここ最近読んだ漫画で一番ぐっとくる話だったのです。あまりにも良すぎてマガジン買っちゃうぐらい良かったんです。大分日も立ってるんだけどいまだに読み返すぐらい良かったです。くどいけど本当に良かったです。良いのです。ですです。

 

因みに私がひつこく良かったと思うのは話の後半なのです。正直前半の件はどーでもいいのです。私が激しく心を掴まれたのは、物語の中盤、聖蹟高校サッカー部の顧問の中澤先生が試合前の控室で選手に話しかけるところからの一連の流れが本当に素晴らしいと思ったのです。高校サッカー最強、十傑と呼ばれる(中2病っぽいね)傑出した実力を持つプロ入りが内定したプレーヤーを3人擁する梁山高校との対決を前に中澤先生はある告白を選手たちにします。

 

俺は、現役時代大した選手ではなかったと、そのことを伝えます。まあでもそれは、物語の中でもほとんど周知の事実であり、選手たちも知っていました。ただこの後に続く告白からの流れが本当に素晴らしかったのです。

 

俺がメンバーに選ばれたのは、高校3年間で1度だけだった。

スタンドから見ていた聖蹟イレブンは、いつもカッコ良くて俺の憧れだった。

その気持ちは今も寸分も変わらん。

 

 正直、うわっと思いました。これは凄いと。これってサッカーに限らず全ての分野のスタンドから、その先を眺める人の大半の気持ちをびったッと言語化してる!っと思ったのです。そうなんですよね、いくら年を取ろうが、老いぼれようが、いつまでたってもその先に立つ者たちへの羨望や憧れ、尊敬は変わらないんですよね…。悔しいし虚しいかもしれないけど、決してその先に足を踏み入れられない人間にとって、そういう風に見つめるか、完全に目を逸らすかの二択しかないんです。いや、このセリフは本当にグッときます。そのあと、中澤先生のモノローグに入ります。

 

中澤、腐るなよ。

厳しかったがいい監督だった。

あの人ならこんな時選手が欲しい言葉を言えたんだろうな。

俺は大した監督ではない。それは十分認識している。

目を見張る戦術も、劇的な演説も、何一つない。

ただ一つ、俺にできることは選手たちを心の底から尊敬し、最後の最後まで味方でいてやることだけだ。

俺はずっと支えてくれたお前たちにこれぐらいしか言えん…。

 

ノローグの最中、中沢監督は選手たちに歩み寄り、ただ一言「頑張れ」と声をかけていきます。いや、この「頑張れ」は正直相当な重みをもった「頑張れ」ですよ。全てのそちら側に行けなかった者のそちら側に立つ人間に託す思いです。これは、この言葉は殆ど呪いです。凄まじく重い思いです。

 

1年から2年、そして3年生へと一人一人の名前を呼び、ただ「頑張れ」と声をかけていくんです。1年はその頑張れの意味がイマイチ理解できません。2年は、一部の人間はその頑張れの意味を理解しています。そして3年は、その頑張れの意味を痛いほど理解しているんです。この時、これまで名前すら作中で紹介されたことのない控えの三年生部員3人の名前を呼ぶんですが、この時の控えの部員たちの表情が凄まじく良いんです。特に伊藤。そしてレギュラーの5人の3年生に続く件がもう最高なんですよ。灰原と国母の表情なんかもう何て書いたらイイのか分からないぐらい心を鷲掴みにされるんです。

 

そんな中沢監督の言葉をキャプテンである水樹が片手をあげて遮り一言中沢監督に声を掛けます。

 

大丈夫。監督。めちゃくちゃ頑張ります。

 

いや、良かった…。何度読んでも痺れます。この件。本当に最高です。基本私は、人から頑張れと声をかけられたら「てめーが頑張れ、このボケなすがぁ!」言い返してしまいたくなる衝動に駆られる荒北イズム*1の人なんですが、流石に素直に感動しました。中澤監督は自らをポンコツと自嘲しますが、相当なモチベーターです。中澤監督の「頑張れ」に対する水樹の「めちゃくちゃ頑張ります」の返しも本当に素晴らしいと感じました。

 

いやもう続きが本当に楽しみなんですが、余韻に浸りたくてその後マガジンを全く読んでいないので全く分かりません(笑)けれどこの話で終わっても別にいいくらい大満足してしまったのです。

 

つまるところ私的にDaysが不朽の名作になったっという事を明記したかったのです。そういう話でした。お粗末。

 

 

DAYS(20): 週刊少年マガジン

DAYS(20): 週刊少年マガジン

 

 多分このエピソードはこの巻に収録されるはず。この巻だけは必ず買わねばなるまい。

…ぎゃふん。