真空断無弾

日々の色々な事柄の忘備録的感想。戯言。

「エンド・オブ・キングダム」(2016)ジェラルド・バトラー無双再び。

ホワイトハウスと言う限定されたシチュエーションからもっと大きなフィールドへ。舞台を、もとい戦場をロンドンに替えた脳筋アクションの続編。今度も救いがたいほどあほな話。褒め言葉としては…それしか思い浮かばないな(笑)。

 

前作の完全なる続編。イギリス首相の急死を受けて先進国首脳が葬儀のためロンドンに集結する。その中にはアメリカ合衆国大統領とその警護官マイク・バニングジェラルド・バトラー)の姿もあった。しかしそれはアメリカに恨みを抱くテロ組織の巧妙に仕掛けられた罠であった。ロンドンに集結した各国首脳に迫る危機。その魔の手はアメリカ合衆国大統領にも向けられる。バニングはそれに立ち向かうが…みたいな99分のお話。

 

少年漫画の鉄則としてシリーズが進むにつれて敵も味方もその持っている能力がどんどんインフレする、と言うのがある。本作もまさにそんな感じ。規模、人、ドンパチ度が前作よりも確実にスケールアップしている。さらに言うならば主人公の戦闘能力、その周りのモブキャラ達のあほさ加減、設定のザルさもスケールアップしている。おいおい…。みたいな感じなのだ。もはや突っ込み所しかない内容で、正しい鑑賞法としては画面に延々と突っ込みを入れまくって楽しむというのが多々しい見方なのかもしれない。作品はシリアスタッチなのだが、その内容はもはやギャグ映画だ。もはや笑うしかない。前作でも感じたんですが車田正美イズム*1全開な作りになっている。時と状況と見ている人によっては最高に楽しい映画だろうし、最悪に最低な映画にもなりえる、人を選ぶ映画と思われる。因みに私は前者の方だったりする。

 

何ともストレートで1本道なお話で、最後まで想像通り物語は進行していく。まあこの映画にストーリー的な驚きは必要ないので問題はない。とにかくジェラルド・バトラーの無双っぷりに酔いしれるための映画と言える。が、あまりの無双っぷり、と言うかあまりのキリング・マシーンぶりに正直かなり引く所も多々ある。どっちが悪者と突っ込みたくなるような暴走ぶり。暴力を行使する人間および組織の正邪の判別とは非常に曖昧なものだと再認識させられる。

 

脳筋なアクションドンパチ映画なのだが、皮肉に満ちた映画だ。作中で復讐と言う物は執拗で絶対的な力を持つ、とテロ首謀者が語り、それに対してアメリカ合衆国大統領は、批判せず勇気をを与える。相手を想い、大切な人に心から尽くす。人にしてもらいたいと思う事を人にせよと息子に教えていると語る。その割には結局は復讐の倍返し…。映画の結末はさらに皮肉と矛盾を感じずにはいられない。作中でも語られていたが「最悪なのは何もしない事」なのだとこの映画は結論付け肯定している。手を汚さない傍観者には成功も失敗もなく、それについて語る資格はないと言いきるその姿勢は、いかにもアメリカ的な発想だなと感じた。まあある意味正論では有るのだが大抵最悪の方向に進んでるぜor倍返しな世界には平和は来ないよと、意図的にそういう風に感じさせるよう構成されてるのは感心した。脳筋アクションだけど。

 

 

 

 ジェラルドバトラーの無双ぶりに血肉湧き踊る作品であることは間違いない。

 

 

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 BDのパッケージの絵が全く同じっていうのは世間的にはOKなのか?ぎゃふん。

 

 

 

*1:真面目にやればやるほど笑える物語

「エンド・オブ・ホワイトハウス」(2013)現代版一人300…レオニダス再び。

ホワイトハウス・ダウン」とモロ被りの題材。あっちはどことなくコミカルタッチだったけれどこっちはシリアスタッチ。だだしベクトルは同じ方向を目指いしている。

突っ込み所満載のお馬鹿な方向である…。もはや笑うしかない。

 

大統領夫人を不慮の事故で死なせてしまった過去を持つ主人公マイク・バニングジェラルド・バトラー)が北朝鮮系テロリストとホワイトハウスを舞台に大暴れ無双する脳筋なアクション1本勝負な120分のお話。

 

ジェラルド・バトラーと言うと世間ではオペラ座の怪人の人なのかもしれない。しかし私の中では300の人、ガチムキのレオダニス閣下その人という印象しかない。本作はそんな私の印象を損なわない素敵な脳筋アクション映画となっていた。主人子であるジェラルド・バトラーは、まあとにかく強い。凄く強い。もはや手が付けられないくらい強いのである。まさに現代に降臨した1人300。生き人神レオニダスもといジェラルド・バトラーなのである。的確にハンドガンで次々とヘッドショットを決める様はもはや人の領域を軽く超えている。よくバッタバッタと人をなぎ倒すとか言う表現があるが正にそれ。迷うことなく疑うことなく、ただただその強さに酔いしれるのが正しい視聴法のような気がする。…いや、突っ込みまくってもかなり面白い映画ではある。シリアスタッチな作風なものの冷静に見るとWHY?しかない。設定がザル過ぎて突っ込み所しかない。真面目にやればやるほどギャグにしか見えない感じの映画だが、無理無茶無駄な所が面白いという映画だと思うのであまり野暮な事は言わない方が良いのだ。ある意味、車田正美イズム*1を継承している作品である。

 

ホワイトハウス・ダウン」と同じく基本はダイ・ハードの系譜の作品なのだけれど「ホワイトハウス・ダウン」が過去のアクション映画の物語性のエッセンスを抽出しようと試みていたのに対してこちらはより主人公のヒロイックさに焦点を当てている。見ていて連想したのは「コナン・ザ・グレート」だとか「ランボー」だとかチャック・ノリスとかの超人性。セガールとかヴァンダムとかラングレンとかの系譜。いいよねそういうノリ。素敵だわ。

 

個人的には「ホワイトハウス・ダウン」の方が面白かったがこちらの方もかなり良かった。世間では本作の方が評価も興行成績も良かったようで続編もある。ジェラルド・バトラーの漢臭さ堪能できる1本だとは思うよ。

 

 

エンド・オブ・ホワイトハウス [Blu-ray]

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 よく考えると子供を救出するっていう所も「ホワイトハウス・ダウン」と被ってんだよな。しかしオッサン野郎度が高過ぎィ…。ぎゃふん!

 

 

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 コンビの男前度はこっちの方が上だな。娘も可愛いし。

 

 

*1:真剣に書けば書くほどギャグにしか見えない症候群

「ホワイトハウス・ダウン」(2013)名は体を表す…。

 タイトルのまんまの内容。ダイレクトで分かりやすい。突っ込み所多し!好感度高し!

 

ローランド・エメリッヒ監督作品。はっきり言って嫌いじゃない。好きなのはユニソルことユニバーサルソルジャーとかインデペンデンス・デイとか…。あれ…あれ…それ位しか見てない…。ごめん。よく考えたらほとんど見てない。けど本当に嫌いじゃない。むしろ前述した映画は個人的には傑作認定してるくらい好き。でも評判の悪いGODZILLAからそれ以降の作品は全く見てない。何というか食指が伸びない題材が多いのでスルーしてきたのだが久々に本作を手に取ってしまった。

 

主人公のジョン・ケイルチャニング・テイタム)は元軍人で現在は議会警護官を務めているバツイチの子持ち。彼にはエミリーという名の10代前半くらいの娘がいるが現在その中はあまりよろしくない。この娘は政治オタクで現職大統領のジェームス・ソイヤー(ジェイミー・フォックス)の大ファンなオタク。ジョンはそんなエイミーとの関係を修復するため色々と奔走する。しかしそんなに簡単に事は進まない。大統領付き警護官への転職を希望して面接を受けるも過去のしがらみで上手くいかない。大統領付き警護官の面接失敗の失意の中、ジョンはエミリーとホワイトハウス見学ツアーに参加する。その時、ホワイトハウスで予期せぬ事態が発生する…みたいな131分のお話。

 

ローランド・エメリッヒと言うとパニック映画という印象が個人的に強い。まあインデペンデンス・デイしか見てないんですけどね。でも厭味抜きに面白い作品だった思うんだよインデペンデンス・デイ。何というか笑える展開が素敵だと思うし、インデペンデンス・デイでは切れたウィル・スミスがエイリアンをどつきまわす所なんか最高だと思う。抜けてる真面目な笑いっていうのは個人的に凄く重要なポイントで、そんな演出を恐れずにかます監督を信頼するし凄くリスペクトするわけなのだ。ベタって重要だ。そんなわけできっちりベタな話を作れるローランド・エメリッヒって監督は良いと思う。ユニソルとインデペンデンス・デイ作った時点でもう無条件に良い監督だと思う反面、外した時の破壊力も洒落にならないところもあり、微妙に手を出しづらい監督だったりする。本作は公開当時、類似作品「エンドオブホワイトハウス」と被ってることで結構話題になっていて気にはなっていた。とはいうものの当時は時間も精神的な余裕もなくスルーしていたのだがついに見てしまった。

 

結論から言うとこれは凄まじく面白かった。だってまんまダイ・ハードだもの。いや、まんまと言うと語弊がある。ダイ・ハードでありリーサルウェポンでありエアフォース・ワンでありザ・ロックだった。個人的に好きな映画のチャンポンで想像を軽く超えてきた。何たるミクスチャー!何つーか、ローランド・エメリッヒのアクション映画愛が大爆発した映画だった。特にエメリッヒさんダイ・ハードが好きなんだろうなという内容だった。主人公が最終的に白いランニング姿になった時は思わず吹き出してしまった。まんまじゃねーかよと。ジョン・マクラーレン再びである。軽妙な掛け合いとか、けれんみ溢れるアクションとか凄く良い。突っ込み所が多いのも非常に良い。個人的にツボで凄く楽しめた。

 

興行的には振るわなかったそうで「エンド・オブ~」のように続編はなさそう。まあ突っ込み所やあほすぎる登場人物が多かったからなぁ…。個人的にはこっちの方が面白かったので残念である。チャニング・テイタムジェイミー・フォックスのコンビは相当格好良いと思ったのだが…。

 

 

ちなみに一番印象に残っている場面は、娘のあまりのオタクっぷりに若干引いた主人公が娘の身を案じて「お前、学校に友達いる?」って尋ねたところが凄くほっこりした。あと娘が可愛い。確かに嫌われたくない。

 

「時計じかけのオレンジ」(1971)破壊衝動の極み。

過去の名作と言う物を殆ど見ていない。好物は最後にとっておくタイプだったりするので正直やったぜと思っている。死ぬまでには色々みたいね。

 

スタンリー・キューブリック監督作品はあんまり見ていない。「博士の異常な愛情」とか「2001年宇宙の旅」とか「フルメタル・ジャケット」だとかそんくらいしか見てない。ただその作品はどれもこれもとんがっている印象は受けている。特徴的なのは異常な性格のキャラクターが結構登場するような気がする。個人に好きなのは「フルメタル・ジャケット」でハートマン軍曹とほほえみデブ。「まるでそびえ立つくそだ」とかキャッチーな名言も多くて当時の私の心に突き刺さった。というか今も突き刺さったままだ。故にその内この監督の作品を全部見てやろうと思っていたのだが何となく億劫になって先延ばしにしてきた。しかしもうそろそろ見とかないと多分死ぬまで見ないなと思い、まだ見ていない作品の中で一番見たい本作を視聴したわけなのだ。因みに原作の方の小説は読んではいない。

 

物語は主人公マルコム・マクダウェル演じるところのアレックスの一人称で語られるスタイルになっており、近未来のロンドンを舞台にその悪行の数々とその後の顛末が語られる。ディストピアな映画の137分。

 

主人公のアレックスは若きクズである。これが清々しいまでのクズなのだ。破壊衝動に抑制がかけられないタイプの人間で暴力的衝動とか性的衝動とか本能の赴くままに生きているクズだ。モーレツなクズだ。若さゆえの…的なレベルではないその悪行は次第に過激になっていき、結果的に殺人の罪でお縄になり収監されることとなる。結果は懲役14年の禁固刑だった。しかし、したたかで邪悪なアレックスは「ルドヴィコ療法」なる新しい受刑者更生プログラムを受けることによって刑期の短縮の機会を得ようとする。新療法は一種の洗脳で暴力や性的衝動を生理的に受け付けないような体質にするという荒業なのだが療法は成功しアレックスは社会復帰するのだが…みたいなお話。

 

まず最初に感じたのは分かりにくい映画であるという事。とにかくその言葉が分かりにい。これナッドサッド言葉と呼ばれる造語で本作に出てくる、というかまみれなのだがこれがもう意味不明な言葉なのだ。何の説明もなく投げっぱなし。ロシア語と英語ベースにした組み合わせのスラングらしいのだが理解不能である。話の流れで何となくこういう言葉を指すのかなぐらいの理解しか私には無理だった。がこれこそがこの作品の世界観なのかもしれぬ。世界は分けの分からんものという事を表してるのかもと思った。

 

とにかく不穏な世界である。1971年当時の人間が想像した近未来のロンドンなのだが今見てもそんなに違和感を感じない。未来と言うならば未来に見える。退廃的で耽美的な美術や小道具がいっそう不穏な世界を際立たせている。不気味だ。しかしよく考えるとこの映画の提示している閉塞感やら不穏な空気感は実は現実世界が常に抱える慢性的なものなのかもしれない。ほぼ半世紀前の作品を今見てもリアルに感じる事がその証明のような気がする。

 

しかし主人公は本当にクソのような性格をしている。1ミリも共感できない。もはや想像の範疇を超える悪党でどーしようもないのだが、それを取り巻く世界も大概だ。全体主義、管理社会の行き着く先を皮肉った挿話の数々は的確に人間世界の暗部をえぐってくる。踏み込んで内側からねじりこんで打ち込むスタイル。重い。

 

結局の所、何をしたって人間の本質は変わらないし、「目には目を、歯には歯を」の時代から変わってないし変われないじゃねーの人間。みたいなシニカルな波動を感じる傑作だと思いました。

 

 

時計じかけのオレンジ [Blu-ray]

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 作中で主人公が社会復帰後訪れた作家の家にいるマッチョの大男。ダース・ベイダーの中の人らしい…。ゴツイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ローグ・ワン」(2017)ジェダイ無き時代の理力に導かれない野郎ども。

正直SWに深い思い入れはない。けれどやるとなると見たくなる。

故に今更ながら見てしまった。

 

私がSWで最初にイメージするのはルークではなくアナキン、もといダース・ベイダ—だったりする。正直、ダース・ベイダーと言うのは凄い発明だと思う。その黒光りしたメタリック調のスタイリッシュなルックスだったり、シューコ~シューコ~言う呼吸音だったり、もう全てが暴力的魅力に満ち満ちてる。帝国と同盟のドンパチよりもこのシスの暗黒卿の一挙手一投足の方が興味の対象になる人の方が確実に多いと思う。個人的見解ですがSWと言うのは宇宙を股に掛けた、壮大な命を賭けた親子喧嘩の物語であり、帝国だの同盟などというものは添え物に過ぎないのではないかと思っている。映画のⅣ~Ⅵというのはまさにその物語だった。Ⅰ~Ⅲというのはその父をクローズアップした作品で、新しいⅦ~というのは次世代の物語という事なんだろうと勝手に思っている。

 

スピンオフ作品の本作は時系列的にはⅢ以降、Ⅳ直前の物語にあたるらしい。

 デススターという名の宇宙要塞の設計図を巡っての帝国と同盟の攻防を描く133分。

 

喧嘩はしないが本作も親子ものだった。父と息子ではなく父と娘だが。良くも悪くもこれ以降も、この親子ものと言う呪縛からこのシリーズは逃れられることができないかもしれない。まあ話が面白ければいいんですが。

 

で、結論ありきで語るスタイルなんで結論から言うと微妙であった。うーん。方々での評判が良すぎたので面白さのハードルが相当上がってしまったかもしれない。つまらなくはないが想像してたのより面白い分けでもなかった。正直、微妙な感じだった。

 

フォースに導かれない者達のSW。そんな感じのお話。幼い頃に生き別れた父と娘の話を主軸に帝国と同盟のドンパチを描くわけなんですが話に既視感をバリバリ感じます。斬新さは皆無。予定調和な話でほぼ想像通りに話が進んで終わる。いい意味でも悪い意味でも裏切られることなく終わる。うむ。安定感重視で驚きはない感じ。

かといって全くつまらない分けでもなく話は終盤盛り上がる。デススターの設計図を巡って同盟側の決死隊が帝国の惑星に設計図の奪取を試みる件は手に汗を握る。

 

前評判を聞いてなかったら普通に面白いと言えたかもしれない。残念無念である。見てない作品の情報は極力控えよう…。

 

本作で意外だったのが主人公の父役のマッツ・ミケルセン!悪役でない!いい人の役で出てる!凄く好きな俳優なのだが悪役顔で悪役のイメージが非常に強い*1。007の奴とか印象深い。けど本作は主人公の父親役で100%いい人の役だった。やったぜミケルセン!

 

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話は変わりますがミケルセンって佐々木蔵之介に似てないですか?似てないですか?

 という事は佐々木蔵之介も好きなのか?あんまり気にしていなかったが…。

 

後、良かったのは座頭市ドニー・イェンさん。ジェダイにあこがれる盲目の剣士役で無双してる。ジェダイではないが尋常じゃない強さ。というかこのレベルでジェダイになれないって…ジェダイって…ダース・ベイダーどんだけ化け物なんだちゅー比較対象キャラって話ですよ。で、作中後半登場したベイダーは超無双するという展開は素晴らしいと思った。でもそこがこの作品のピークだったかな。

 

SWと言う縛りがあるのでそのシリーズの色に準じた作品になるのは仕方がない。けど、スピンオフ作品なのでもう少しはっちゃけた筋書きでもいいような気がする。個人的にはそんな作品が見たかった。ような気がする。ぎゃふん。

 

  K-2SOのデザインはブリキのロボット感があって素敵だなと感じた。

*1:100%個人的偏見

「チャッピー」(2015)スタイリッシュなロボコップ。

チャッピーと聞いて真っ先に思い浮かんだのが、ながいけんの「チャッピーとゆかいな下僕ども」とか言う漫画だったりする。私はそんな人間だ。

 

ニール・ベルカンプ監督作品「チャッピー」。この監督の作品は好きで過去2作も見ている。本作も楽しみにしていたのだがタイミングや時期を逸してこれまでスルーしてきたが、今更ながらやっと見た。第1作目の時にも感じたのだがこの監督の作品からは私が愛してやまない「ロボコップ」の影響を強く感じる。本作はモロにニール・ベルカンプ風の「ロボコップ」だった。

 

物語の舞台は2016年の南アフリカヨハネスブルグ。街は重犯罪が多発する修羅の街。治安悪化の抑制を図るために当局はロボット警官「ドロイド」を配備し、治安維持を図っていた。物語はそのロボット警官の一体であるNO.22がAIを得て自我を持ち、「チャッピー」と名付けられその後に至るまでの顛末の120分のお話。

 

チャッピーは見た目が相当男前。「アップルシード」のブリアレオスと「パトレイバー」のイングラムを足して2で割ったような感じ。完全に影響下でしょう。瞳はドットの四角で、それもなんだか間が抜けた感じで可愛い。このチャッピーが自我を得て成長する過程を主軸として、貧富の格差のが激しいヨハネスブルグのヒャッハー達のしのぎとロボット開発者達感情の軋轢が交差する内容になっている。役者も豪華でヒュー・ジャックマンとかシガニー・ウィーヴァーとかが出てる。特にヒュー・ジャックマンが演じる軍人上がりのロボットエンジニアは良かった。人間クズを好演している。うん、ナイスなまでのクズ。

 

私見ですがニール・ベルカンプポール・バーホーベンの完全後継者と認識している。バーホーベンがエロ・グロ・バイオレンスとするならば、ベルカンプはエロではなくバカが入る様に思う。バカ・グロ・バイオレンスが基本路線であり本作もそんな感じ。狙ってバカなのか真面目にやってバカなのかは謎だが、それが最大の魅力だったりする。

 

本作も特に物語の中盤から後半は?????????となるほどバカみたいな設定だったり突っ込み所満載の内容だったりする。正直、いろいろ破綻してるし粗が目立つ。ここら辺の所を看過できるかどうかで本作の評価が決まるような気がするが、個人的にその馬鹿さは嫌いになれない。ただ第1作目の「第9地区」と比べると作を重ねる事に話の筋が劣化しているような気がする。うーん。困ったもんである。そこらへんの所は次回作に改善を期待したい。

 

とは言うものの、個人的には十分に楽しめた。特に中盤から後半。突っ込み所満載ながら考えさせられるところ多かった。

魂とか心とか人格とか。

視聴者は純粋無垢でタブーの無いチャッピーを通してヨハネスブルグの様々な人間を見ることとなる。その人間達は大抵醜い。ただひたすらに悪事を働く輩。欲求の為に暴走するエンジニア。出世欲に駆られ妬みで事を起こす野蛮人等々…。

デフォルメされ突き抜けた登場人物たちは血の通った命を持った人間であるが、皆、欲が深く邪悪だ。肉体を持たぬロボットであるチャッピーのみが純粋無垢な心を持っていると言う皮肉。チャッピーとの関係性で母性だったり父性だったり自己犠牲を覚えるヒャッハー達の件とかも人に救いを感じさせる話の反面、そういった環境を作れない社会に対する痛烈な皮肉も感じる。

 

某映画では「マナーが人を作る」と問うていたが、ニール・ベルカンプは第一作目の「第九地区」から一貫して「環境が人を作る」と手垢がついたお題目を命題にしている節がある。本作はロボットを通じて真正面からそれを描き切った作品ではないだろうか。

 

 

しかしオチの件の人格転移&人格複製の件は看過できないし色んな意味で納得もできませんが…。ぎゃふん。

 

 

 

「プリースト」(2011)超絶に消化不良感が半端ない…

シチュエーションと雰囲気は好み。映像は結構豪華でお金かかってそう。物語は凡庸。映画としては…何とも言えない出来だった。色んなものが圧倒的に足りない。

 

粗筋は…

殆ど進撃の巨人だったりする。巨人を吸血鬼に替えただけ。

歴史改変の物語。吸血鬼が存在するIfの世界。太古の昔より続いた吸血鬼との戦争に「プリースト」と呼ばれる対吸血鬼用兵士の投入で人類は勝利した。が その力故に疎まれたプリースト達は解散させられ町の底辺で生きることとなる。平和を勝ち得た人類は高い防壁に囲われたシティと呼ばれる都市を建設し教会の統治の元、平和を謳歌していた。教会の司祭で伝説の戦士と名高いプリースト(ポール・ペタニー)は、ある日、ヒックス(キャム・ギガンデット)という青年から、兄一家が吸血鬼に襲われ、姪のルーシー(リリー・コリンズ)が連れ去られたことを知らされる。プリーストは再び人類に危機が迫っていることを協会に報告するが信じてもらえず、掟を破りヒックスとともにルーシー救出のための旅に出る。吸血鬼は絶滅したと主張する教会の妨害を受けながらも、プリーストは吸血鬼の巣窟へと向かうのだが…という87分のお話。

 

そんでもって感想…

まず初めに私はこの映画は嫌いじゃない。嫌いじゃないのだがこれじゃない。これじゃない感が凄く強い。何というか素材は良いのに味が残念みたいな感じの料理が出てきたときのような何とも言えぬ感情。この手のB級の匂いのする作品は好物なんですけどね。

 

監督はスコット・スチュワート。「レギオン」の監督で主演はポール・ベタニー。アイアンマンのスーツの声の人。「レギオン」と監督、主演とも一緒である。

 

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韓国の漫画が原作だそうなのだが私はよく知らない。ただその雰囲気は非常に好み。平野耕太の「ヘルシングイスカリオテ機関的な感じ。アンデルセンとか出てきそうな感じは凄まじく良い。

 

この映画、冒頭にも書いたが細かい所が結構しっかり作りこまれてる。

世界観も雰囲気も良い。背景のCGとかも良い。

吸血鬼も人外なクトゥルフチックorエイリアンチックで良い。ヌメヌメ感のある異形な化け物で従来の吸血鬼と全く違い良い。

テリーマンヨロシクチックに額に十字架マークがあるプリーストorプリーステスも出オチの感は否めないがそれもまた素敵。

ルーシー役のフィル・コリンズの娘リリー・コリンズもセクシーで可愛い。良い。

プリーストが銃器を使用してはいけないとか、妻帯してはいけないとか戒律的な縛りがあり、何らかの人体強化をされ超人的な戦闘能力を持っているという設定も良い。

 

そんな感じで結構心の琴線に触れる要素が満載にもかかわらず、見終わった後何とも言えない残念な気分になってしまう困った映画だ。原因としては、語りたい内容に対して決定的に時間が足りないところ。良く言えばスピーディという事なんだろうけど、早けりゃ何でもいいという分けでは無いという事をこの映画を見て痛感した。やっぱし話の強弱とか緩急は必要だよ。130キロ後半のストレートをストライクゾーンに投げ込み続けたら、いかに切れが良くても撃ち込まれますよ。ましてやそんな剛速球って作品ではないんだから。しかも時間の関係か山場のラスボスとの対決が…ショボすぎるー。うーん。完投能力がなかったんだなぁ。力尽きた感が半端ねぇっす。まるで既視感…この監督と主演の前作を思い起こさずにはいられなかった…何ともショボい。そんなこんなで最終的に前述のような気分になり半端ない消化不良感を見た後に感じました。

 

ただ一貫してるなーと感心させられたのが映画のテーマ。前作「レギオン」も信仰がテーマだったが今作も引き続きそれがテーマになっている。真の信仰心とは?本当に正しい行いとは何なのか?というものを問いかけるような内容になっている。「教会の教えが神の教え」と作中では洗脳するかのように唱えつづけるが、時にはそれを真っ向否定することも時には必要ですよと問いかける。手段を目的にするなという事か。体制が敵なのではなく、それを利用している何かが敵なのだ。パンクでロックンロールの魂が注入された作品と言える。内容は無いけどね。ぎゃふん。

 

 

プリースト [Blu-ray]

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散々書きましたが本当に好みの作品ではある。いい感じなボンクラテイストで。あと少しズレていれば傑作になったかもしれない。惜しい。

「レギオン」(2010)地上に天使が下りてくるとロクなことが無いという定番…。

戦いたがる天使たち。色んな意味で大迷惑。嫌いではないが色々足りない。面白い要素が多いのに残念。惜しい映画だと思う。

 

粗筋は…。

人の愚かさに堪忍袋の緒が切れた神は人類粛清に天使の軍団「レギオン」を地上に向かわせる。それを知った大天使ミカエルは人類を救うため神を裏切り翼を捨てて*1武器を手に取り*2地上へと降り立った。目的地はアメリカのどこかは分からぬ郊外のレストラン。そこで働くウェイトレス、チャーリーが身ごもっている赤ん坊こそが人類の希望。人類の救世主となる赤子を巡って天使と人との人類存亡を賭けた戦いが始まる…。

 

んっでもって感想…。

天使物というジャンルがある。その中でもさらに細分化すれば天使バトル物というジャンルがある。「ゴッドアーミー」「コンスタンティン」とか。この天使バトル物、私は嫌いじゃない。むしろ大好きだ。翼の生えた、時には生えてない人間もどき、もとい人間を超越した天使のバトルは派手で良い。良いのだが大抵天使たちも人間と同じような思考をしていて造形をしていて肉弾戦になるのはどうかと思うのだが…。本作も想像の域を超えない銃撃戦だったり肉弾戦が展開されます…。

 

冒頭でも書いたが本作は色々足りない。足りない映画だ。

人類の存亡を賭けた戦いと言えば、何か壮大な感じがするが実際はアメリカの片田舎のレストランに立てこもる少数の人間+α(正確には7人で元天使と女含む)対レギオン(大軍)&ガブリエルの局地戦であり、大天使無双のお話だったりする。とにかく大天使が強い。翼が無い状態でも強いが翼があるともう手が付けられないくらい強い。とにかく翼が強い。銃弾は跳ね返すは、物は切断するは万能無敵の兵器だったりする。というか翼が天使の本体なんじゃないのかと思うほど強い。というか翼さえあればいい。そんな感じ。

 

天使の軍団「レギオン」これはビジュアル的には悪霊にしか見えない。調べてみるとレギオンとはマルコによる福音書に登場する悪霊の事だそう。ビジュアル的にも合致するので多分ここからの引用だと思う。でも公式な紹介でも天使の軍団になっているので個人的に解釈するなら、大天使はその造形のまま地上に降りれるが天使はそのままでは地上に降りれず人に憑依して地上に降りるという事なのかな?憑依したらビジュアルが何だかゾンビ風の悪霊付きみたいになるという風にしか考えられない。原理は謎である。そしてこのレギオン…弱い。

 

映画は人間&ミカエル対レギオン&ガブリエルの攻防からミカエルVSガブリエルのバトルを経てクライマックス、エンディングと続くのだが想像の範疇で想定の域は全くでない。捻りやどんでん返しもさほどなくエンディングを迎える。ほぼ1本道。正直なんだかなーという感じで壮大なイメージとは裏腹に非常にショボい。

 

この映画のテーマは真の信仰心とは?という事だと思う。言葉をなぞりそれを忠実に守ることが正しいのか、たとえ神の教えや命令でもそれが誤りと思うならば、歯向かっても間違いを正すことが正しいのか?これは非常に難しい問題でケースバイケースだと思う。が、この映画にはこの映画なりの回答が提示されていてる。雰囲気だけで跡を濁さず、きっちり答えを述べるスタイルは好感が持てる。個人的には評価高い。ベタすぎると言えばそれまでだが、ベタは重要だ。ショボいけど…。

 

結局の所、神の気まぐれに振り回される天使と人間。そして常に試されているというお話でした。それってなんだかしんどいねって感じでした。ぎゃふん!

 

 個人的には天使ってもともと物騒なイメージを持っている。悪魔を槍で退治する的な。本作の天使は槍とかではなく銃器を使用します。よりハイパーな感じだ。ショボいけど嫌いじゃないんだなー。この手のBな感じ。おススメはしませんがね。

 

 

*1:文字道理の意味です。翼を自分で引きちぎります。

*2:銃とかです。ギャグではないです。

「ザ・ウォーク」(2015)なぜ危険を承知で人は挑戦したがるのか…?

 

多分馬鹿なんだろう。いい意味でも悪い意味でも…。

でも犯罪は良くないと思うよ。

ジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り第3弾!!!

今度は綱渡りだ。

 

粗筋は…

1974年、アメリカのワールドトレードセンターで行われた綱渡りの物語。123分。

 
1974年、当時世界一の高さを誇ったワールド・トレード・センター
その高さ411m、地上110階の道なき空間をワイヤーロープ一本でつなぎ、命綱なしの空中闊歩にある一人の男が挑んだ。その男とはフィリップ・プティ
感想…

ロバート・ゼメキス作品を久しぶりに見た。ベオウルフ以来のような気がする。好きな監督ではあるのだが最近ご無沙汰している。

 

今回のジョセフ・ゴードン=レヴィットは破天荒な役柄だ。なんせ高さ411m、長さ42mを命綱なしで渡ろうとする男の役である。野性味があって知的でアナーキーな感じだ。無論、犯罪である。ワイルドだね。アウトローですね。

 

世の中には2種類の人間がいる。

高いとこが平気な人間と平気ではない人間だ。ちなみに私は後者に属する人間である。だから正直そんなところを何故渡りたいのかよく分からない。というかそのインスピレーションが沸く意味も理解できない。それでもあえて何故を考えるならば以下の答えが導き出される。

 なぜ綱を渡りたいのか?それは多分、渡れるから。

能力があるという事は、それを試したい欲求に駆られるという事だ。そして往々にして人はそれに抗えない。抗えるわけがない。だってできるのだもの…。相田みつを風になってしまうけれど、そういう事だと思う。

 

この物語は事実に基づいた映画で、事の顛末を発端から結末まで詳細に描いているらしいのだが、見終わった後に思い浮かんだフレーズは「伊達と酔狂」だった。銀英伝のキャラクター、アッテンボローが作中後半で頻繁に口にするフレーズが真っ先に思い浮かんだ。ピッタリだと思う。伊達と酔狂以外の何物でもない。付け加えるなら挑戦という言葉か。命を賭けた無意味な挑戦。それは捉えようによってはアホ以外の何物でもない。というかアホだ。しかし命を賭ける価値のある挑戦と思える事柄を持つ人間がこの世にどれだけいるだろう?多分ほとんどそんな人間はいない。とするならば、その行為をあほと即断じることができるだろうか?いやできない。もうそれはアホを超えている。度を過ぎると何とやらとはよく言うが、これはとても高尚とは言えない。故に「伊達と酔狂」がピッタリ来る。というかそれ以外の言葉がもう思い浮かばない。とは言うものの、ぶっちゃけアホなんですがね。

 

後、見ていて考えさせられたのは、どんなこ事でもある程度規模が大きくなると単独や個人での仕事は難しいという事。本作でもこの「伊達と酔狂」を行うのに何人もの協力を必要としているという所をきっちり見せている。主人公個人の業績は当然称えられて然るべきだが、その陰には何人もの支えがあっての結果と言う所もしっかり描かれていて好感が持てた。よく言われる言葉だが個人の力には限界がある。そんな所もきっちり見せるのは凄く良い。脇役が凄く良い。いい意味の歯車になってる。

 

最後にあと一つ。真の主役について。ジョセフ・ゴードン=レヴィットは主役だがもう一人主役がいる。人ではないが、全ての発端であり事象の中心であり続けている。この映画のもう一つの主人公はもうこの世には存在しないツインタワー。ワールドトレードセンターこそが中心であり主役なのだろうと思いました。

 

 

面白かったんだけどこれって本来劇場で3DとかIMAXとかで見たら多分、別次元の面白さになるんだろうなぁぁぁぁ…ぎゃふん!

 

過去のジョセフ・ゴードン=レヴィット祭りはこちら。

 

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「(500)日のサマー」(2009) 運命はあるらしいよ…。

突如として私の中で始まったジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り第二弾‼‼

今度は恋愛コメディー…だ。

 

私は恋愛映画をそんなに見ない。皆無ではないが殆ど見ない。自発的に見ることはまずない。見た結果、それが恋愛映画だったというようなことはよくある。物語においてどんなジャンルにも絡んでくる要素だし、結果、そのジャンルよりもロマンスが最終的に勝るという映画はよくある。と言うかそればっか。

本作の存在は大分前から知っていたのが、そんなわけで触手も動かなかった。きっとジョセフ・ゴードン=レヴィットが出ていなかったらまず見なかっただろう。

 

結論から書くと、すこぶる面白かった。うむ。食わず嫌いはいかんね。これは痛感した。これもジョセフ・ゴードン=レヴィットのおかげだ。ビバ!ジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り‼

物語の筋は…

ジョセフ・ゴードン=レヴィット(役名トム)とズーイー・デシャネル(役名サマー)の出会いからの500日間の物語。ロマンチストで夢見がちな男と割り切った関係を望む愛を信じない女の物語。96分。 因みに本作のジョセフ・ゴードン=レヴィットジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り第1弾で紹介した「50/50」の主人公とほぼ同一人物のような設定です。病を患わんだけ…。

 

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個人的な感想…

物語の進み方が面白い。時系列順ではなくバラバラに500日を見せていく。ラブラブ時期を見せたかと思えばその直後に倦怠時期を見せたり、交際中を見せたかと思えば交際前を見せたりと手を変え品を変えケースバイケースのシチュエーションの対比が面白い。恋愛時における浮き沈みの滑稽さが恥ずかしく面白い。

 

一番感じたのは男女の関係性。これって男女逆なら良くある話のような気もするが、今の世は女性が強いという事なのか。主人公の男の方が健気かつ一途に女の尻を追いかける。乙女かよ!と三村風に思わず突っ込みたくなる。逆にヒロインは恋愛というものに楽しみは感じるが愛を信じない北斗の拳におけるサウザーのような思考をしている。引かぬ、媚びぬ、顧みぬ。カッコいい。個人的にそんなに魅力を感じる容姿ではないが性格はサバサバしてて男前で素敵だ。

 

運命は有るのか否か?この物語は有ると描いているしそれを手繰り寄せる確率を上げる術もあると語る。某ボクシング漫画のセリフとモロ被りになるが、努力する者が、必ず報われるとは限らない。しかし、成功した者は皆すべからく努力している。そんな思いが物語の根底に流れているような気がする。

妥協せず努力、精進せよ。さすれば道は開かれん。根本にあるのはそういう前向きなテーマだと感じた。

実際の所は上手くいかない事だらけなのが現実。だが物語として面白いのでこれはこれでいいと思う。要はボーとしていてても始まらない。万事、好きな事をダメもとでやれ。ダメならダメで手数を出して確立を上げろという事かな。

 

色々な事は置いといて、やっぱりジョセフ・ゴードン=レヴィットは良いぞ!これに尽きる。というかこればっかり書いてる気がする。まあ、そうはいっても本作のジョセフ・ゴードン=レヴィットはちょっとちょろすぎる設定の男ですが。…まあジョセフ・ゴードン=レヴィットだから許すが…な。

 

結論的に言いたいことは…

色々な事を書きなぐってきたが最後のこれだけは書いておきたい。というか書かねばならぬ。この作品で一番魅力的な人物についてである。それはヒロインではなく、主人公でもなく、主人公の妹であると!断言したかった。

主人公は困ると、ある人物にアドバイスを求めに尋ねに行く。それが主人公の妹であるクロエ・グレース・モレッツ(役名レイチェル)。ローティーンの設定だと思うがこの妹が兄に結構芯の喰ったアドバイスを送る。情けない兄としっかりした妹という構図で作品全篇にある、強い女性と弱い男性と言う世界観をより強調している。けれどそんなことはどうでもいいくらいクロエ・グレース・モレッツが作中の他の誰よりも男前な性格で素敵だった。個人的には1等賞のキャラだった。

 

やはりウエンツ瑛士に見える瞬間がある…。いやウエンツ瑛士も嫌いではないけどね。好きでもないけど…ぎゃふん!

「50/50 フィフティー・フィフティー」(2011)細かいジョークが楽しくセス・ローゲンのツンデレにやられた…。

突如として私の中で始まったジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り。インセプションとかダークナイトの時から知ってはいたがさほど興味はなかった。多分この前見た「ルーパー」が心の琴線に触れたのだと思う。

 

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 ジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り。何だかよく分からないが楽しい。ヤバい。

 

物語の粗筋は…

難病闘病コメディー。ある日、腰に痛みを感じ病院で診察してもらった主人公ジョセフ・ゴードン=レヴィット(役名アダム)は脊髄がんであることを宣告されてしまう。5年間の生存率50%…。そんなジョセフ・ゴードン=レヴィットの闘病生活の顛末を描く98分の物語。

 

ジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り第一弾!何となく感想…

結論から書くと最高だったのではないか。最高。過去見た闘病物の中では個人的に一番楽しく素敵な作品だったと思う。

 

主人公を演じるジョセフ・ゴードン=レヴィットが良い。何が良いんだと問われると困る。正直何が良いのか私も分からない。ただなんか良いのだ。かっちりしたアイビールックに身を包み、柔和な柔い風貌そのままの所謂優しい良い奴を演じている。一歩間違えるととっつぁん坊やみたいな格好になってしまうのだけど、ジョセフ・ゴードン=レヴィットは実によく似合う。板についてるスタイルで格好がよろしい。

真面目なんだけど堅苦しくなく、マッチョな感じではないけれど、そうゆう話ができないわけでもない、草食系と言われる人種のフラッグシップな役だ。あまりにも出木杉君で厭味な役柄になってもおかしくはないのだが、そこは我らのジョセフ・ゴードン=レヴィットが上手いこと演じていて、非常に魅力的なナイスガイを演じている。素晴らしい。

ただ一つ女の趣味が良くない。芸術家もどきの女ブライス・ダラス・ハワード(役名レイチェル)と付き合っているのだが物語序盤からどーにもこの女は胡散臭い。その関係の顛末は見て知るべしだが、人を見る目が無いという欠点がまた抜けてる感じで、いい感じの隙をジョセフ・ゴードン=レヴィットに持たせることによって、そこも魅力を感じさせる。見せ上手だぜ!ジョセフ・ゴードン=レヴィット

 

また劇中歌が良い。特にジョセフ・ゴードン=レヴィットが病名を宣告された後、喫茶店で呆然としているシーンから流れるRadioheadのHigh and Dryが凄まじく良い。久しぶりにRadioheadを聞いたがドラマと非常にあっていてすごく良かった。下手するとただのMVに見えなくもないが…素晴らしく良かった。

 

後はセス・ローゲン(役名カイル)が白眉の出来。粗野で野卑な言動や行動。しかし時折見せる知性や優しさ。アメリカ映画の親友枠で最も多い定番のキャラクターではあるのだが、これが本当に素晴らしかった。常に減らず口や憎まれ口を叩いているのに、陰で闘病者との接し方の本を読んだり、手術中に病院の前で落ち着かなく不安げな顔で佇んだりというツンデレぶりを披露してくれる。おっさんのツンデレなんか何処にもニーズ無さげなんですが、その光景は確かに胸を打つものがある。イカス。

 

窮地の中にこそ人間の本質が見えるとはよく聞く台詞だが、そんな人間の周りにいる人間にも同じ事が言える。病気を宣告されてからのジョセフ・ゴードン=レヴィットは苦悩し嘆き自暴自棄に陥っていくがそれでも最後は持ちこたえる。ツンデレな悪友だったり口うるさい母親だったり間の抜けた研修医のカウンセラーたちの親身の支えによって。結局普段それ程ありがたみを感じない人達が実は一番心配してくれているし最後まで付いてきてくれる。臭くて照れる恥ずかしいお話ではあるが結構核心を突いていて心にぐっとくる。ここまで臭く恥ずかしい話を超ド直球でやられると逆に清々しく心地いい。面白かった。

  

 

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 時折ジョセフ・ゴードン=レヴィットウエンツ瑛士に見える瞬間がある。キレて叫ぶシーンなんかは叫び声まで似てるように感じた。そう感じるのは私だけか…ぎゃふん!

「ハイキュー!1期・2期・VS白鳥沢学園」アニメを完走した感想。

たまに少年ジャンプ成分を体が欲するそういう病である。

欲する。対決だとか努力だとか友情とかが嫌いではない。むしろ好きなのだろう…。認めたくはないものだが。人間、自分に無い物を求める性質なものだからね。とりあえずアニメから見てしまった…。

 

粗筋は…。

高校バリボーの話。身長は足りないが常人離れした反射神経と身体能力を持つ主人公が超絶技巧なセッターの相棒 とライバル達としのぎを削る話。少年ジャンプ連載作品のアニメ化作品。因みに1期全25話、2期全25話、3期10話の合計60話。長丁場だった…。

 

簡素な感想。

アニメのバレー漫画って「アタックNO1」くらいしか思い浮かばん。というか他にあるのか?

高校バレーの話で真っ先に思い出すのは昔サンデで連載されていた「健太やります」だったりする。あれも身長の足りない高校生バレーボーラーの話だった。リベロというポジションが無い時代のバレーボールマンガで、身長が足りなくてもやれることはあるよ、スパイカーと同じくらいレシーバーもカッコいいよと言った内容の漫画であった。本作は背が低くても、それでもスパイカーとして勝負する高校生バレーボーラーのお話。

高さと力が全ての世界で勝負する背の低い人間の挑戦というのは良くある話である。まあ大概のスポーツ物語は何らかのハンデ*1を持った主人公が奮闘するというシチュエーションが多い。背の高い者が有利な世界に挑むその小さき者という設定は非常に分かりやすい設定であり逆境で燃える。ある意味、定番の中の定番の設定だったりする。「少女ファイト」なんかもほぼ同じ設定だ。色んな意味で掌で転がされてるんだけど、それが心地いい。作画とか動きもよくて感心した。特に2期の青葉城西戦の及川のロングセットアップの後の動き、コート外から急いで戻る際に足を滑らせる表現とか本当に細かい描写が秀逸で見ていて気持ち良かった。他にもいろいろ書きたいがそれは漫画の原作を読んでからにしよう。…そう私は原作を全く読んでいないのだ…。ぎゃふん!

 

 

 

 原作を読む楽しみが残っているという考え方もできる…。

 

 

*1:初心者・未経験者というパターンが多い

「ハンナ」(2011)野に解き放たれたその先は…。

その末路を想像せざるをえないラスト。一番悪いのは政府機関だけど親父が大概だぜ。どっちもそびえ立つ糞だ。そう思ってしまった。

 

物語の粗筋はこんな感じ。

フィンランドの雪山にその娘と父親は暮らしている。そこは電気も通っていない人里を離れた場所だ。そんな場所で父親は娘に自分の持っている知識や技術の全てを伝え生活していた。サバイバル技術。語学。社会の知識。そして対人戦闘術。「寝ているときも注意を切らすな」父の要求は全て要求の高いモノであったが娘はそれをクリアしてゆく。ある日、娘は父に言う。「外の世界へ行く用意は整った」娘の願いは外の世界へ出ていくことであった。父は娘に問う。外の世界に出ていきたいか?と。父は娘の前に発信機のスイッチを差し出した。「外に行きたければ押せ。しかし押したらマリッサを殺すか殺されるかだ」「時間をかけよく考えて決断しろ」と父は娘に言った。スイッチを受け取った娘は、父が狩りに出ている際にスイッチを押す。それに気づいた父は娘に言った。「ドイツのグリムの家で会おう」そう言って父は娘を残し山小屋を後にした。後に残された娘、ハンナの物語が始まる…。

 

そんでもって感想。

この映画を見た時に昔サンデーでやってた漫画「スプリガン」を思い出した。確かCOSMOSとか言うのがこの話に結構かぶってた気がする。

主人公である少女ハンナはシアーシャ・ローナンが演じている。私は全然知らない役者さんだった。「ラブリーボーン」に出ていた子らしいのだがそれ自体を見ていない。印象は白い。見た目が。役柄もあるのだろうが人として希薄な感じが凄い。親父役にはエリック・バナ。私の中では、常に困っている顔の役者の双璧のうちの一人。この人、何の役をやっていても困ったような顔に見える。元々はコメディアンなのにそういう印象が強い。因みに困った顔の双璧のもう一人はクライヴ・オーウェンだったりする。どっちがミッターマイヤーでロイエンタールかは個々の感性に任る。

 

結論から言うと本作は結構面白かった。所謂アクションスリラー映画で基本がしっかりしてる。筋も構成も流れもきっちりしてて好感が持てる。特にオープニングとエンディング。被せてきてるあたりに様式美を感じます。凄く良い。出演陣も豪華。エリック・バナが出演している時点で個人的には満足だが、ケイト・ブランシェットが敵役で出てる。もう大満足。話の内容は、閉ざされた世界で英才教育を受けた娘が外の世界へ旅立つ話であり、娘の自分探しの話である本作。…既視感が半端ない。こんな手垢のついた筋書きの話を沢山知っている気がするけど、映画でド直球でやるのはあんまし記憶にない。記憶にないだけかもしれないが…。

 

そんでもってネタバレ全開ストロングスタイルの感想。

感情を操作し、筋力を増強。遺伝子操作された子供たちを育成しての超兵士育成計画。計画廃案の証拠廃棄から、子供を救い育成から旅立ち。そんな背景を持つ父娘の関係と娘の自立の物語の顛末。概ね納得しているし満足しているし面白いと思うのだが、親父エリック・バナの二択発想に大分疑問を感じている。親父エリック・バナは戦闘工作のプロ、凄腕の元CIA工作員。組織の汚さ、怖さを知っている者の発想なのかもしれないが…。プロジェクト大本営の責任者を殺し追跡に終止符を打つという発想は理解できる。しかし発信機で所在を明かしてからの作戦開始というのはどうにも理解に苦しむ。隠密的に動いてヒットすることも可能なわけで、なぜこんな困難な作戦を実行しようとするのか?何の説明もない。暗殺対象を手の届く範囲におびき出すためとの解釈もできなくはない。しかしそれにしても生か死かという2択の発想は乱暴すぎやしないか?そもそも事を起こす必要があったのか?よく分からない。穏便に素性を隠し街に人に紛れることは作中のエリック・バナの技量なら可能のように思える。が、それを良しとしないのは狂信的に組織を恐れているのかそれとも娘に何か思う所があるゆえの試練なのか?そこらへんがよく分からなかった。

あと父娘を追跡する工作員がへっぽこ過ぎる。エリック・バナの力量を認め、恐れての追跡チームになぜその人選をしたのか意味が分からない。追跡組のリーダーはいかにもの奇天烈系の得体のしれない奴だが実際の腕前は大したことなく、単なる拷問好きサディストにしか見えなかった。エリック・バナを脅威と思っていたらこの人選は無いと思うのだがどうでしょう。

 

何と言うか余白の多い作品に感じた。というか余白が多すぎる気がする。親父の行動とかもう少し細かい所を丁寧に作中で描ければ傑作になり得たかもしれないような気がする。説明がちょっと少なすぎる。何とも惜しい作品だった。面白かっただけにね。

 

 面白いんだけど中古で500円で売っていた…。面白いんだけどな…。俺だけか…?ぎゃふん!

「アイアン・フィスト」(2012)黒人meet功夫=まさかの正統派武侠映画。

武侠小説にハマっていた時期がある。金庸とか古龍ね。その流れで武侠映画にもはまった時期がある。映画だと、1も2もなくツイ・ハーク。ツイハークこそが至高と疑わなかった時期がある。今でもある一定の期間の映画についてはそう思っている。信じて疑ってない。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナシリーズとか最高じゃないですか。因みに「刃・ブレード」が武侠映画最高傑作だと個人的に思っている。

 

主演が黒人のアメリカ人RZA。因みにリッザと読むらしい。誰やねん?って感じだったんですが、ラップ歌う人らしい。よくよく調べるとウータン・クランなるグループの中心人物で、本作の監督・脚本を担当している。ラップついては全く分からない私でもウータン・クランと言うグループ名くらいは聞いたことがあり知っていた。うーん。成功したんですなぁ。映画撮れちゃうくらい。とか思いちょこっと調べてみるとこのグループ名、映画「少林寺武者房」に登場する武当派=ウータンからとっている名前らしい。…。ガチか?ガチの人なのか…。結果、ガチでした。ガチの人でした。ガチの功夫映画好きの黒人ラッパープレゼンツの武侠功夫映画でした。しかも結構正統派の…3割くらいアメコミ風味だけれども。出演陣も結構豪華。ラッセル・クロウとかルーシー・リュウとかデビッド・バウティスタとかが出てる。功夫映画なので舞台は勿論、中国ですが…。

 

物語は黒人鍛冶屋RZAが愛する女郎を身受けするためにその身を粉にして働きまくっているとある街に帝都へ黄金を輸送する隊がやってくるところから始まる。その黄金をめぐってのお話の顛末を描いているのだが、これが本当にしっかりした功夫映画になっていて関心した。所謂、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んでいたのに、最後の一線を踏み越えてきた悪党どもに怒りの鉄拳が炸裂するという非常にオーソドックスな作り。アメリカ人の黒人のラッパーが日本に住むおっさんのハートに響く古き良き功夫映画を作っちゃうんだから。凄いよな。なんかいろいろ力業な所を感じるお話なのだが、本家本元の武侠映画も大抵出鱈目なものだから正直あんまりそういう所は気にならなかった。むしろもっと出鱈目なものを想像していたのだが意外とまともな作りだっただった。いや十分出鱈目ではあるが…。

 

ググってみると、RAZさんフェイバリット作品は「五毒拳」「少林寺三十六房」「獣兵衛忍風帖」「北斗の拳」だそう。確かに日本のその年代のアニメや漫画の乗りも結構香港映画とかに影響受けてるし、巡り巡るもんですな。結構グロくゴア。そういったものに耐性があり、武侠功夫映画が好きならこの作品は楽しめるような気がする。

 

 

 功夫映画でBGMはラップ。意外と合う。2もあるそうです。見ねば。ザビ…ぎゃふん!

 

 

 

 

「ばらかもん」①~⑭作ヨシノサツキ 簡素な感想。

 一年ほど前にアニメを見て興味を持った。いつか原作の方も読みたいと思ったのだが、その後テレビでやってたスピンオフ作品が全く違うテイストのもので、心に一ミリも引っかからず、原作に対する熱も冷めて放置していたのだが、もうすぐ新刊が出るそうで、その後どうなったのかの誘惑に耐えかねてついに読んでしまった。

 

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物語は社会不適合者のイケメン書道家島流し物語。島での田舎生活や島民との交流を経て、書道家として、人として成長していく様を描く人間ドラマ。アニメがすこぶる面白く、その後の話を読みたかったが、その後のお話も期待に違わず面白かった。しまった。早く手を出せばよかった…。

 

タイトルの「ばらかもん」は五島列島の方言で「元気者」の意味らしい。作者の方が五島出身、在住の人でそういうタイトル内容の作品になったようだ。しかし、元気者って…。

 

1巻から6巻までがアニメ化された部分に当たるのだがちょっと感心した。本当に原作を忠実に再現してる。次回予告の前のおまけの部分まで原作を使ってたんだね。いやアニメスタッフは本当に良い仕事をしてる。グッジョブ。序盤、絵柄が安定してない原作よりもむしろアニメの方が完成度高いと個人的に思う。本当にグッジョブ。アニメ見たなら1巻から6巻までは読まなくてもいいと個人的に思う。

 

この作品の最大の魅力はやはり主人公、半田清こと半田清舟(筆号)の存在だと思う。いや、あざとい。あざといキャラだ。島民の子供に初見でジュノンボーイと呼ばれるほどのルックス。書道家としてそこそこの実績を持ち、親はその道の大家。超ハイスペックなキャラクターなのだが半面、一社会人としては超ポンコツと言うギャップがあざとい。精神年齢が幼くメンタルが凄まじく弱い。いや本当にあざといキャラだ。これは萌える。いかにも漫画チックでファンタジーのキャラ。現実には絶対存在しなさそうなキャラクターが、これまた素朴を強調した、ザ・村の子供or村民たちと言った、またまた田舎ファンタジーなキャラたちと織りなすふれあい日常ドラマが基本のお話になる。うん。完全に作者の掌で操られているちょろい読者だとは思うのだが仕方がない、認めよう。心地良い。ファンタジー×ファンタジーだと明後日の方向に話が飛んで行ってしまうんじゃないかと思うのだが、細かい所のディテールが結構しかりしてて、おとぎ話から現実ぽっい話に何とか引き戻している。村の情景や風習だったり、住んでる日本家屋の構造とか細かい小道具だったりが本当に現実的で昭和チック。主人公の家のガラス戸の鍵とか本当に細かくて正しい。あと黒電話とかね。私も長い事古い日本家屋の家に住んでいた人間なので、読んでてあるあるネタが多くて非常にノスタルジックな気持ちになった。

 

7巻以降の話もどれも面白く楽しめた。特に良かったのはきよバアの葬式の回。このエピソードは本当に良かった。身近な人間を亡くした人間の感情の起伏だとか突然フラッシュバックされる過去の思い出だとか、「ああ、確かにそー言う感じだった」と思わず呟いてしまうほどよくできてる。特に幼児の死者に対する恐怖というか悲しみってやつ、ホントに根源的な何かを感じ取って泣く様とかね、細かい描写なんだけど既視感が半端ない。

 

基本、1巻につき大きいエピソード一つ、その中に細かいエピソード1つ2つ挟んで、包括して大きいエピソードが完結するというかっちりしたスタイル。1巻づつで大きいエピソードが終わりそれが続いていくという形も心地良い。よく構成されている。分類すれば貴種流日譚の贖罪型に当てはまるのかな。分かっていてもベーシックな成長譚と言うのは面白い。主人公が着実に成長するさまも心地いい。杖を突いてるヨボヨボの老人をぶっ飛ばしてしまうようなヤバい若者が、島のガキンチョや大人に学び、よくぞそこまでまともになった様は結構感慨深い。習字の月謝で2万も毟ろうとする世間ズレさは相変わらずだが…。15巻も楽しみだ。

 

 

 いや。CDはいらんが…。