愛とか言い出すとウエットすぎると感じる。私の心は荒んでいるのだろうか。
1950年代のアメリカの大都市ゴントランドの市長代理を務めるルドルフ・ターキーの権力闘争風人情噺…。
各巻の帯はスゲェカッコいい。痺れる文句が連なる。
- 「俺に不可能はない」
- 「俺が欲しいのは冷めない快楽だ」
- 「指の本数減らしたくなきゃ黙ってな」
- 「売られた喧嘩は、言い値以上で買ってやる」
- 「正しい金の使い方、見せてやろうか?」
- 「俺は誰の事も見ていなかったんだ」
- 「ようこそ俺の街へ」
まず先に言っておく。
私はロマンノワールとかピカレスクロマンとか呼ばれるものが好きである。
私は基本人畜無害で平和主義者な人間であるらしい。本人はそうは思わないのだがよくそう言われる。他人からの評価が世間の評価なので多分そうなのだろう。まあ確かに日々是平々凡々な平和な日々を生きており、喧噪とか暴力的なのはノーサンキューな感じである。しかし虚構の世界ぐらいは荒ぶる世界に浸りたいと常に思っている。ハードボイルドだど、と心の中では思っていてもいいのではないか。虚構の世界ぐらい。
光があれば闇があり、光が強くまぶしいほど闇も深く暗いと思う。
そんなことをその昔鉄砲玉パーンと若頭アシュラム*1から教わった。
そして深く濃く暗い闇はカッコ良くて美しいと学習したのだ。
このマンガ、設定は凄く良い。傍若無人かつ傲慢な主人公の悪党感MAXの様は傍から見る分には非常に魅力的なのだが結局愛を求めるツンデレ腑抜けで傍若無人ぶりはポーズに過ぎないことに打ちのめされる。何故なのか。正直冷める。
うーんロマン・ノワール的なものを期待したら痛快娯楽活劇だった…。
カレーを頼んで見た目カレーだったのにハヤシライスの味がしたみたいな衝撃を味わう感じか。甘いではないか…。いやハヤシライスをディスっている訳ではない。時と場所と状況が変わればそれはそれで最高なのだが、私が欲しているのはカレーなのである。私の頭の中は日本インド化計画マインドの状態だったのだ。「カレーは何て辛いんだ!」と叫びたかったわけなのである。なのにハヤシって。甘すぎる。
ギャングや政治家を巻き込んだ本格的な権力闘争の話はいつ始まるのかと期待したのだが、そんな大きな事も起こらず、想像の範疇のどんでん返しくらいで終わる…。
結局最後は愛なの暖かさなの的な大円団はそこそこのセンチメンタルを生むが、想像したカタルシスは無くなあなあで終わる…。非常に惜しい。
主人公の登場時の不敵さ、傍若無人さが魅力的だったのでよりそう思う。
でも私は正直ハヤシも嫌いではないことをここに告白しておく。
でも望んだのはカレーだったのだ…。ぎゃふん!