真空断無弾

日々の色々な事柄の忘備録的感想。戯言。

「DAYS(24)」

 10月はサッカー漫画ばかり読んでた。もう12月だけどね。

 

VS梁山戦の続き。

追撃ムードは高まるものの、結果が伴わない聖蹟。局地戦で勝利する場面は出てきたが得点に結びつかない。そんな中、電光石火のカウンターで梁山に追加点を奪われてしまう。後半残り30で得点は0対3…。その時、聖蹟イレブンは…みたいなお話。

 

サッカー漫画に出てくる登場人物と言うのは選ばれた人間達だ。基本的にここにいる者達は壁を突破してきた猛者達である。本作でいえば主人公つくしの所属する聖蹟高校は東京のサッカー強豪校と言う設定であり、そこに所属し、ベンチ入りするメンバーに選ばれるというだけでかなりの壁を突破してきたことになる。ましてや全国大会、冬の選手権のメンバーともなるとその壁は計り知れないほど高い。正に選ばれし選手たちとなる。しかしここで注目すべきはその舞台である。高校サッカー。これがこの物語のもっとも切ない色どりを加えている。彼らは確かに壁を突破してきた人間なのだが、まだ壁が存在するのだ。特に高校サッカーと言う所は残酷なまでの大きな壁が立ちはだかる。

プロの壁である。中二病的な十傑と言うネーミングはその象徴である。作中の十傑とはプロ内定者たちの事を指す。未来のJリーガーたちだ。突出した力を持ち、アマチュアの壁を突き抜けプロになれる者達。それが十傑。そう10人しかいないのだ。本作の高校サッカーをやっている最終学年3年生(1人2年生がいるので正確には9人)の中でプロになれるものは。その他の人間はその壁を越えられないのだ。どんな社会、世界でも最終的には弱肉強食の原理があり平等なんてない。幻想である。全ての人間が報われる世界など存在しない。社会には見えない壁が無数にあり、数多の階層が存在し、無限とも思える序列が存在する。スポーツの世界ではそれが明確に、残酷に目に見える形で提示される。そこに嘘はないとは言い切れないが、一般社会よりも少ないと思う。ゆえに結果は正しく残酷で尊いと思うのだ。個人的にこの物語の一番好きな所は、突破する人間達よりも、壁の前でもがく人間のエピソードだったりする。

中でもこの梁山戦において個人的に気に入っているのは中澤監督と速瀬の2人。中澤監督については以前に書いたが相変わらず良い。それについてはまた後日追記したい。今回は速瀬について書きたい。聖蹟の左SBの選手である。左利きの高速ドリブラー、適正ポジションは左WGだと思われる。しかしそのポジションに彼はつけない。そのポジションには十傑と呼ばれる水樹がいるからだ。怪物と綽名される規格外の選手が同じポジションにいるというのはどんな心境なのだろう。チーム競技とはいえポジションを争う意味ではチームメイトもライバルである。そんなに低くない壁を突破してきた人間にとってどうあがいても勝てない人間がいるというのは屈辱か絶望か。これがプロならば絶望しかない。試合出てなんぼだから。しかしアマチュア高校サッカーと言う状況だとそれだけではない。頼もしい仲間であり誇りでもある。速瀬にとって水樹は巨大な乗り越えられない壁であり誇りなのだろう。そこに迷いはない。ゆえに愚直なまでに水樹の能力を、勝利を信じ、献身的なサポートを惜しまない。それは聖蹟と言うチームに捧げる献身とほぼ変わらない。ある意味速瀬にとっての聖蹟とは水樹寿人とイコールなのかもしれない。

そんな速瀬の交代する場面が個人的にこの巻のハイライトだった。ここでの早瀬と国母の何気ない会話が凄く良かった。国母は作中でモテる、3股してるとうそぶく男なのだが、この場面での早瀬との会話がこの二人の聖蹟での立ち位置やサッカーや聖蹟に賭ける思いを凄く表していて熱く切ない。サッカーに賭ける思いや費やした時間は他の者に勝るとも劣らない。多分水樹ともそんなに変わらない。と言うか多分水樹よりも多く時間を費やしているはず。それでも届かない。そのもどかしさや悲しさ。実力や才能が及ばない人間のジレンマやら葛藤が凄く感じられる。熱く語るのではなく、ほか事を喋りクールに熱い。ストレートな熱さは分かりやすいが、それを前面に出すことが許されるのは一握りの人間だけだ。圧倒的な才能や能力を持った人間達。そうではない、能力の足りない者たちのテレを含めた情熱と言うやつが上手い事描かれてる。そこに正直、痺れる。

 

次巻も楽しみだ。

 

 

 

 

 鈴木と佐藤も良いね。